ゆめしま海道をゆく①

2022-12-17
海と日本PROJECT in えひめ

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

今回は「ゆめしま海道をゆく」です。

 

秋晴れの11月初旬に、越智郡上島町の4つの島(生名島・岩城島・佐島・弓削島)を3本の橋でつなぐ〝ゆめしま海道〟を小学3年生の息子とサイクリングしました。現在、芸予諸島にはこれ以外にも、今治市街と尾道市街を10本(※)の橋で結ぶ〝しまなみ海道〟と今治市岡村島から7本の橋で本州呉市へといたる〝とびしま海道〟というサイクリングコースがあります。そもそも、ゆめしま海道サイクリングをやろうと思い立ったのは、10月30日に開催された「サイクリングしまなみ2022」で、高速道路本線を快走するサイクリストたちを見て感動したことによります。

①サイクリングしまなみ2022(来島海峡大橋)

(サイクリングしまなみ2022(来島海峡大橋))

 

海道それぞれの開通年は、しまなみ海道が1999(平成11)年5月、とびしま海道が2008(平成20)年11月で、ゆめしま海道は岩城橋が完成する2022(令和4)年3月のことです。橋の下は航路となっているところも多く、本来なら橋が陸道で航路を海道と称するのが適当でしょう(笑)。自転車で空中散歩しながら多島美を眺め、海を渡ることができるそれら3つの架橋ルートは、他地域ではあまり体感することのできない感動を味わうことができます。

②来島海峡大橋下をくぐる巨大船

(来島海峡大橋下をくぐる巨大船)

しかし忘れてはならないのは、架橋整備によって廃止となったフェリー・高速船の航路便も多く、交通網の変化で港の賑わいが失われようとしています。越智郡の島々と今治港を連絡していた島の便利屋〝渡海船〟も、2010(平成22)年6月に最後の1隻・大下島(おおげしま)の金比羅丸が引退して姿を消しました。船の発着あってこその港であり、乗船客が交流することで、これを支える商店街があり、港町の風情がありました。

今治市では、今治港に活気を取り戻そうと、2022(令和4)年11月13日から月2回のペースで「せとうちみなとマルシェ」という官民一体の催しをスタートさせました。当日ともなれば、ご当地グルメのキッチンカーや飲食・雑貨店など、みなと交流センター〝はーばりー〟(黒船に似せた原広司氏設計の建築。2016年竣工)周辺に多くの出店が並びます。

③みなと交流センター〝はーばりー〟(今治港)

(みなと交流センター〝はーばりー〟(今治港))

まさに、はーばりーが母船で、キッチンカーや出店者のテントが子舟のように映ります。

④せとうちみなとマルシェ(宮窪の漁師による競り市)

(せとうちみなとマルシェ(宮窪の漁師による競り市))

2023(令和5)年春には、同所隣りに今治税関支署・今治海上保安部・今治海事事務所が入る新たな今治港港湾合同庁舎も完成予定で、港の景色も変容しつつあります。

ゆめしま海道へは、そんな今治港から尾道市・因島土生(いんのしまはぶ)行きの芸予汽船高速艇に乗船し向かうことにしました。もう、今治港から土生・上島諸島へ向かうフェリー便は失われているのです。サイクリストが10名ほどいたでしょうか。彼ら彼女らは、ロードバイクを艇後部の艫(とも)に載せてから客室へと乗船します。そして、走行するコースに合わせて途中の伯方島・岩城島・弓削島などで下船し、また途中で乗り込んでくるサイクリストもいました。

⑤今治港から乗船するサイクリスト

(今治港から乗船するサイクリスト)

筆者は、岩城港で下船して港務所の売店でクロスバイクをレンタルし、岩城橋(岩城島~生名島)→生名橋(生名島~佐島)→弓削大橋(佐島~弓削島)の順で走行することにしました。

岩城島を訪ねるのは10数年ぶりで、当時は岩城村でした。この島で有名なものといえば、すぐに青いレモン・芋菓子・桜の名所の積善(せきぜん)山を思い浮かべることができます。歌人の若山牧水が逗留した旧島本陣三浦邸(岩城郷土館)も現存し、島の豪商であった三浦家の屋敷は松山藩主が参勤交代で寄港する際の島本陣でもありました。かつて越智郡の島々は、この島と岡村島・大三島・生名島(いきなしま)などが松山領、大島・伯方島・弓削島(ゆげしま)・魚島(うおしま)などが今治領で、両藩で二分して統治されていました。筆者が調査したのは塩田跡地と塩田資料の現況確認で、三浦家(東三原屋)もかつては塩田地主でした。この島では藩政時代から1971(昭和46)年の第4次塩業整備まで塩田経営が見られ、跡地の一部は入浜塩田の凹地を利用してクルマエビの養殖場となり、同様のものが生名島でも確認できました(現在は生名島のみ操業)。

一方の今治市では、全国有数の塩田産地であった波止浜(はしはま)塩田が、第3次塩業整備の1959(昭和34)年で製塩業に見切りをつけます。この英断ともいえる背景には、跡地を埋め立てて造船団地や住宅団地に再生させるという将来のビジョンがありました。新居浜市の多喜浜塩田も、同時期に廃止して埋め立てられ、工業団地へと姿を変えていきました。それは日本の高度経済成長の時期と重なり、沿岸の景観も開発による埋め立て等で変容していったのです。

この点、越智郡島しょ部の大三島・伯方島・岩城島・生名島などは、国内塩田のすべてが廃止となる第4次塩業整備でまで経営をつづけ、以後はその多くがクルマエビの養殖場に姿を変えました。

s-⑥塩田跡を利用した伯方島の養殖池(瀬戸浜)

(塩田跡を利用した伯方島の養殖池(瀬戸浜))

しかし、2003(平成15)年当時、筆者が伯方島を訪ねた際は、同島で最も広大な養殖池を有するF水産は休業の状態でした(最盛期の養殖面積は17万㎡で、エビの養殖では全国3位の規模を誇った)。訊けば、すぐ沖の海底の海砂採取(建築資材目的)の影響で、生態系が変わってエビが育たなくなったとのことでした。そんな過去の記憶がよみがえりながら、完成して間もない岩城橋へとクロスバイクは快走します(息子が必死に追走)。

⑦石鎚山が遠望できる岩城港桟橋

(石鎚山が遠望できる岩城港桟橋)

※来島海峡大橋を3本、伯方・大島大橋を2本で数えた場合。

 

【明日に続きます。】

イベント名ゆめしま海道をゆく①
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