伊予北条の鹿島へゆく②

2023-1-28
海と日本PROJECT in えひめ

伊予北条の鹿島へゆく②

 

春の北条鹿島まつりでは、勇壮な海の男たちによる海上絵巻「鹿島櫂練り」(愛媛県指定無形民俗文化財)と玉理・寒戸島の「大注連縄(おおしめなわ)張替え」が披露されます(櫂練りはコロナ禍などでここ3年中止)。

②鹿島櫂練り

(鹿島櫂練り)

②大注連縄張替え

(大注連縄張替え)

ともに〝河野水軍〟の故事にちなんだ行事で、旧北条市河野地区は伊予の名族・河野氏(守護・戦国大名)の発祥の地で知られます。実際、鹿島が河野氏影響下の城郭だった時期もありました。しかしその河野氏も、最後の当主・河野牛福通直の道後湯築城の明け渡し(1585年)や死(1587年)によって滅亡へといたっています。

戦国時代末期、この鹿島城は高縄半島西部を影響下におく、来島村上氏の城郭だったようで、同氏は村上海賊の一派としても知られます。織田信長が、中国毛利氏陣営の切り崩しを画策した頃、その誘いに乗ったのが河野氏・毛利氏と同盟関係にあった来島村上氏でした。それから間もなくして信長が本能寺の変(1582年)で没すると、離反行為を行った来島村上氏はしばらくの間、河野・毛利連合軍の執拗な攻撃を受け、現在の今治市波止浜・大浜の沿岸部などにあった野間郡・越智郡の拠点を失うことになります。当主の村上通総(みちふさ)は来島城を捨て、羽柴秀吉のもとへ逃亡しています。

②村上通総の肖像画(大分県玖珠町/安楽寺所蔵)

(村上通総の肖像画(大分県玖珠町/安楽寺所蔵))

それでも、風早郡で通総の庶兄・得居通幸らが恵良山城・鹿島城・日高城で奮戦することで、簡単に降伏することはありませんでした。このとき、鹿島城を海上から包囲した毛利軍は、火矢や鉄砲では大きな戦果をあげられず、安宅船(あたけぶね)と呼ばれる軍船で大筒を使って砲撃しています。わが国の海戦における艦砲射撃の最初期の実例といえます。

秀吉が1585年に四国を平定すると、いったん伊予国の支配は小早川隆景に委ねられますが、しばらくして村上通総と得居通幸の〝来島兄弟〟に風早・野間郡の知行が認められています。この結果、旧北条市街は海賊大名来島氏の鹿島城下町として整備が進められました。ただ、兄弟はそろって豊臣水軍の一翼として朝鮮出兵を果たすも、大将自らが戦死してしまいます。そして、関ヶ原合戦(1600年)で通総の子・来島康親が西軍に味方したことで、それらの領地は没収されることになりました。

③来島康親の肖像画(大分県玖珠町/安楽寺所蔵)

(来島康親の肖像画(大分県玖珠町/安楽寺所蔵))

徳川家康による論功行賞で、伊予国の所領は東軍に味方した藤堂高虎・加藤嘉明の両氏によって二分されることが決まりました。その際、両氏が協定書を交わし、西軍から没収した小川祐忠の国分山城(現、今治市桜井地区)と来島康親の鹿島城の城下町を折半(二つ割)することになりました。そのことは、城郭と城下町の機能停止を意味するもので、城下町の地割が化石のように残されることになります(現在の今治市桜井1丁目の短冊状地割)。旧北条市街でその象徴的な場所は、伊予銀行北条支店前のクランクする街路です。

②北条辻のクランク道路

(北条辻のクランク道路)

海岸線に平行な2つの街路がクランク(かぎ型、桝形)でつながっていて、連結部分の暗渠には明星川が流れ、北条港へと注いでいます(北条港には、沖の安居島行きの旅客船「あいほく2」が係船されている)。

②北条港の係船された安居島行き旅客船

(北条港の係船された安居島行き旅客船)

これは、明星川を境に北条村と辻村とに二分支配された名残を表しているのです。藤堂領となった風早郡の商人の中には、今治城下町へ移住するものもいたようで、その人々に藤堂氏が与えた町の区画が風早町(現、今治市風早町)でした。

現在、鹿島には島の自然・歴史をテーマにした松山市北条鹿島博物展示館「かしまーる」があります。小さな資料館ですが、パネル展示などを通じて鹿島の魅力を深掘りできる工夫がされています(見学無料)。海賊大名・来島氏の歴史にもう少し踏み込むと、海城としての魅力も引き立つことでしょう。河野氏を滅亡したように捉える見方もありますが、実は河野氏庶流一族として江戸時代も来島氏は大名として存続しているのです。来島氏の初祖・村上通康(1519~1567)は、湯築城主・河野弾正少弼通直の娘婿となり、一時的に河野家の後継者候補の地位にありました。このため、家紋は河野氏と同じ〝隅切り縮三文字〟で、同じ村上海賊の能島村上氏・因島村上氏の家紋〝丸に上〟とは異なっています。では、北条を去った来島氏の歩みを次項で紹介したいと思います。

イベント名伊予北条の鹿島へゆく②
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