海とつながる肱川の舟運文化①

2022-9-23
海と日本PROJECT in えひめ

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

第2回目は、「海とつながる肱川の舟運文化」です。

 

愛媛県最大の河川・肱川の本流は、大洲盆地を蛇行しながら流れ、伊予灘に臨む長浜地区(現、大洲市長浜)の河口へと注ぐ。とりわけ、大洲盆地北の五郎地区から河口の長浜地区にかけては、両岸に山が迫る渓谷状の地形の中を、川は緩やかな傾斜に沿って悠々と流れる。そこは、珍しい気象現象〝肱川あらし〟と称される霧の通り道でも有名だ。

ここにかつて、川舟の運航による舟運文化があったことは、昭和10年(1935)架設の長浜大橋(国指定重要文化財)の形状がバスキュール式道路可動橋であることからも推察できよう。橋の規模は全長232m・幅員5.5mあり、橋桁の一部が跳ね上がり開閉することで船舶の往来が可能となった。

[長浜赤橋の開閉時の様子]

 

昭和初期の古写真を見ると、ここを100総㌧級の機帆船が通過するものがあり、河口は木造帆船の寄港で賑わっていたようだ。現在の長浜中学校付近は貯木場で、木材集積地として賑わう河港の様子も見てとれる。その賑わいが失われると、昭和52年(1977)にこれより海側に新長浜大橋(国道378号)が架設されることとなったが、地元住民の要望で長浜大橋は保存されることになり、〝赤橋〟の愛称で今も現役だ。

[長浜大橋の現況(後方に新長浜大橋)]

 

長浜地区の歴史を振り返ると、大洲藩加藤家の伊予入封(1617年)から港町の整備が進められていった。城下町が盆地にあることから、肱川を介して外港の役割を果たすようになり、藩主が室津(兵庫県たつの市)まで参勤交代を行う際の御座船「駒手丸」もこの地に置かれた。大洲市長浜ふれあい会館1階ロビーには、地元船大工が江戸後期に制作した全長約360㎝の駒手丸のひな形模型(大洲市指定有形文化財)がある。

[駒手丸の船模型]

 

藩主が地元の住吉神社へ奉納したものが、昭和44年(1969)に修復されて現在にいたる。

一方、これとはタイプが違う洋式の蒸気船で、大洲藩が幕末に所有した「いろは丸」(45馬力、160㌧)については、坂本龍馬の海援隊に傭船した際、備後鞆の浦(広島県福山市)沖の海難事故で紀州藩の船と衝突し沈んでいる(1867年)。いわゆる〝いろは丸事件〟だが、この一件は紀州藩から多額の賠償金を勝ち取った龍馬の武勇伝でも知られるが、大洲藩にとっては大きな損害を被る〝龍馬にしてやられた苦々しい惨事〟でもあった。その龍馬は、これより数年前の文久2年(1862)に、脱藩して土佐から長州へ向かう途中、長浜の豪商・冨屋金兵衛邸を宿としている(子孫は同地で現在も旅館を営む)。

その「いろは丸」も寄港した長浜港だが、藩政時代の名残が長浜中学校敷地の北隅付近に、漁船の船溜まりとして確認できる。ここは〝江湖(えご)の港〟と称され、〝赤橋〟を望む堰堤には、「いろは丸」をイメージしたベンチの休憩所と解説板が設置されている。

[江湖の港]

 

[昭和初期の長浜河口の様子(大洲市観光解説板より)]

 

また、近くの町並みに残る末永家住宅(国登録有形文化財)には、回漕業(海運業)で財をなした地元資産家の建物群が並び、大正から昭和2年(1927)頃に建てられた木造平屋建ての〝百帖(ひゃくじょう)座敷〟は一般公開されている。

[末永家住宅の百畳座敷]

 

この建物は接待施設に使われたと考えられ、18畳の和室2部屋のうち、床の間のある方は折上げ格天井となっていて、廊下のガラス戸が来客に開放感を与えてくれる。

この百畳座敷が建てられた大正から昭和戦前といえば、長浜地区は和歌山県新宮・秋田県能代とともに〝日本の三大木材集散地〟として賑わった。長浜市場は、西日本の木材業界で価格決定に大きな影響を与えたようだ。その多くは肱川上流からの筏(いかだ)流しによるもので、「伊予の小丸太」と称されるその木材は建築材の柱・垂木・杭木などに多く用いられた。また、貨物輸送だけでなく、宇品や別府~大阪など各方面への旅客船寄港でも賑わい、これにともなって新たな築港整備も進み、港を軸とした町の近代都市整備が図られていく。現在の大洲市長浜支所庁舎(旧長浜町役場、国登録有形文化財)は昭和11年(1936)竣工の洋風庁舎(木造二階建て)で、赤橋や百帖座敷と同様、当時の河港の賑わいを物語る近代化遺産といえよう。

【明日に続きます。】

イベント名肱川の舟運文化
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