月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに寄稿していただく海にまつわるコラム。
今回は、「灯台活用女子がやって来た! ①唐子浜の赤灯台」です。
久しぶりに灯台に関する寄稿となります。今治市内では5月にバリシップがあり、その話題提供も考えましたが、やっぱり灯台です。去る6月某日、梅雨空の中を〝灯台女子〟ならぬ〝灯台活用女子〟が今治に降臨。〝灯台女子〟といえば、不動まゆう女史に象徴される、灯台を愛好し、その魅力をSNSなどで発信する女性をさし、近年その数が増えています。しかし、これとは一線を画し(?)、自己満足で終わるのではなく、灯台を活用した地域活性化の事例に注目する女子大生が、はるばる筆者を訪ねて高知県からやって来ました。高知大学人文社会科学部4回生の久原美桜さんです。
筆者が愛媛県の近代化遺産調査で平成13〜14(2001〜02)年度に灯台調査を行った頃は、現役の灯台が重要文化財になることは想像もできなかったです。活用を意識した登録有形文化財さえも、その登録へ向けた動きはハードルが高く感じたものです。海上保安庁職員からも、灯台調査の初対面はよく警戒されたものです(笑)。お陰様で、海と日本プロジェクトinえひめに関わるようになって以降、佐田岬灯台や釣島灯台の活用をめぐって、モニターツアーに参加させていただくなど、まさに時流は観光振興をからませた保存活用にシフトしています。
久原さんが注目したのは、今治市古国分の唐子浜(からこはま)ビーチ沖にある「唐子浜の赤灯台」(現、モニュメント)です。
[唐子浜の赤灯台を撮影なう]
もとは来島海峡のコノ瀬暗礁にあった明治35(1902)年4月1日初点灯の「コノ瀬灯標」(赤色円形石造)ですが、昭和53(1978)年3月で役目を終えて暗礁ごと爆破撤去されるはずが、奇跡的に同年10月に移築保存されました。
[解体準備のサルベージ船とコノ瀬灯標]
[解体直前のコノ瀬灯標]
その経緯は、燈光会発行の小冊子「赤灯台を残そう」に詳しく、著者である邊見正和氏は、移築当時は今治海上保安部長でした。移築保存の相談をもちかけてきたのが、今治地方観光協会長の赤穂義夫氏(故人)で、その熱意に邊見氏も感化されて話はトントン拍子に進んでいったようです。もちろん、急潮流である来島海峡での解体作業は、潮の流れが緩やかな時間帯をねらっての作業となり、サルベージ船をチャーターするなど、資金面の捻出が気になるところです。
[解体を台船で見届ける赤穂義夫氏(中央)]
久原さんは、その原資に着目しています。一般に国有財産でもある灯台および灯台官舎の保存整備やイベント活用などは、松山市の釣島灯台官舎に代表されるように、自治体の公的資金が用いられるケースが多いようです。これが「唐子浜の赤灯台」の場合は、赤穂氏が「鴻の瀬灯台保存会」を立ち上げて、海事関係者(造船・海運・銀行・漁協など)に協力を呼びかけたことで、5000万円の移築保存にかかわる事業費が民間によって捻出されました。これが現在価値にしていくらかというと、物価上昇を考慮に入れると1億3000万〜6000万円になるようです。改めて「趣意書」の役員一覧表を見ると、行政色が感じられず、スピード感をもって事業が進められていった経緯が読み取れます。それもそのはずで、赤穂氏が邊見氏に相談を持ちかけたのが昭和52年4月のことですかから、市議会で予算を組んでこの了承を得るのはスケジュール的に難しいものがあります。赤穂氏自身が実業家であったため、自ら多額の浄財を提供したことは想像に難くありません。
赤穂氏については、今治駅と今治港をむすぶ幹線道路「広小路」(ひろこうじ)に、街路樹としてクスノキを寄付したことでも知られます。かつて今治市営球場で、プロ野球の近鉄球団(バファローからバファローズにかけての最弱時代)が春季キャンプを行っていたのも赤穂氏の尽力(近鉄の佐伯勇社長〈西条市丹原町出身〉との連携)で、市中市街地の南宝来通りのケヤキ並木も赤穂氏の発案によるものとか。灯台移築当時は、愛媛県公安委員会委員長の役職にも就いていて、松山ホステス殺人事件で逃亡中の福田和子に懸賞金をつけるアイデアも、赤穂氏によるものと聞いたことがあります。
その赤穂氏は、使われなくなっていた明治35年4月竣工の旧大浜灯台官舎(煉瓦造平屋建)についても、昭和56年7月に今治市湊町から唐子浜の浜堤へ移築保存させ、「唐子浜 海の子の家」として活用し、翌57(1982)年6月に誕生した「赤灯台のうた」は、古関裕而氏に作曲を依頼したものです。
[唐子浜 海の子の家]
そもそも、海にあった石造の灯台を、使用されなくなった後も海に移築保存した例は、世界でこれだけだろうと思います。
今治市内には、これ以外にも、民間活力で移築保存された航路標識があります。そもそも不要になった航路標識は解体撤去(処分)されるものですが、保存を強く望む声があがり、移築保存の費用と確保ができれば達成できる場合があるのです。灯台活用女子の久原さんは、それ以外の事例も踏査することになりました。
【②へつづく】
※添付のコノ瀬灯標解体に関する古写真は今治地方観光協会所蔵。過去に筆者が自著への掲載を要望したところ、赤穂氏の私物であるため、赤穂氏のご遺族に掲載許可をもらうよう助言された。