レポート
2025.06.20

【灯台博士 大成さんによるコラム】④海中鳥居は珍しいのか? 〜波方町宮崎の御崎神社〜

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに寄稿していただく海にまつわるコラム。

今回は、「④海中鳥居は珍しいのか?  〜波方町宮崎の御崎神社〜」です。

今治市波方町には、筆者が幼い頃(当時、越智郡波方町)から小学校が1つしかなく、校区内で最も通学距離のあった地区が宮崎地区でした。今でこそ、そこには波方ターミナル(三菱商事子会社)や波方国家石油ガス備蓄基地(JOGMEC)などのようなエネルギー施設があることで、タンクローリーがアクセスできる立派な道路が整備されています。岬の突端にある小集落ですが、平安時代の史料『三代実録』にも登場するほど、確かな歴史が古代から存在していたのです。その史料には、宮崎村を拠点とする海賊が、867年に周辺海域を通航する船の積み荷を奪うなどの行為が記され、当時の朝廷は取り締まりに手を焼いていたようです。来島海峡の航路としての重要性を考えると、都へ向かう年貢や特産物が略奪されたのでしょう。かの藤原純友も、ここを拠点にして反乱を起こしたと思いたくなるほど、地の利を得た場所なのです。

その宮崎地区の氏神が御崎神社で、眺望のきいた烏鼻(御崎)の丘陵上にあり、斎灘(いつきなだ)をにらむように立地しています。

[御崎神社の一の鳥居]

かつては牛馬の神様として、近郷の村々の農家らから信仰され、境内には花崗岩製(昭和11年)と菊間瓦製(明治39年)とブロンズ製(初代は戦争に供出)の牛のモニュメントが奉納されています。

[御崎神社の牛の像(瓦製・石造)]

拝殿には、牛馬の絵馬や菊間お供馬関係者が奉納した蹄鉄(ていてつ)などが掲げられています。その御崎神社ですが、麓の集落から社殿までは500mほどの参道が延びているのですが、鳥居は全部で3基確認できます。

一の鳥居は海中にあって、干潮にもなれば海岸道路に付属した昇降階段を降りると、すぐ目の前の岩礁に仁王立ちしています。

[御崎神社の一の鳥居(干潮時)]

興味深いのは花崗岩の柱に刻まれた銘文で、大正14(1925)年1月15日に米国在留の三宅岩吉が帰朝記念に願主となって造立したことが分かります。同地区には三宅姓と丹下姓が多いことから、地区出身者の岩吉が異国で財をなし、故郷に錦を飾ったことがうかがえます。大きな石造鳥居ですから、一人で費用を工面するのは大変だったことでしょう。

この海中鳥居から参道がスタートするわけですが、現在は舗装された幅員の狭い県道を三の鳥居まで自動車でアクセスできます。一方、舗装されていない参道の入口付近には、江戸後期・天保9(1838)年造立の小ぶりの狛犬が1対(花崗岩製)、門番のように参詣者を出迎えてくれます。過去には、この参道で神輿渡御が行われていたようです。実は、この参道が海中鳥居と肩を並べるほどの魅力を備えていると筆者は考えています。参道沿いにヤマモモ(山桃)の叢林が形成され、まるでジブリ映画に出てきそうな〝トトロの森〟の光景なのです。梅雨時期ともなれば、たわわに実った果実が参道を赤く染めます。果実酒目当てにこれを拾う人もいるようですが、まさに知る人ぞ知る、不思議な参道なのです。

「なぜヤマモモなのか?」については、現地の解説板によると、ヤマモモの樹皮が漁網になくてはならない染料だったことに由来し、海岸で煮て網を染め上げ、砂浜で乾燥させて使用したとのことです。氏神様の分け御霊が網に宿ることで、豊漁を祈願したのかも知れません。狛犬の造立年や並び立つ明治17(1884)年寄進の注連石(しめいし)・灯籠が物語るように、古くから〝ヤマモモの叢林〟が氏子と氏神様との絆を紡いできました。筆者は小学生の郷土学習でこの存在を知り、「ヤマモモの小路(こみち)」として記憶にとどめています。

[ヤマモモの小路(2010年5月撮影)]

[ヤマモモの小路(2025年5月撮影)]

今治市ご当地検定「いまばり博士」(今治商工会議所主催)の公式ガイドブックには、観光分野の珍景の項目で紹介されています。今回、コラムを執筆するにあたって現地を訪ねたところ、参道入口の狛犬が見つからず、パニックになりました。周辺に雑草と雑木が茂り、視界を遮っていたのです。早速、携帯するノコギリで30分ほど伐採し、大汗をかきました。やぶ蚊の襲撃に遭いそうなタイミングで退散(笑)。

御崎神社を参拝した後は、それより先にある七五三ヶ浦(しめがうら)と梶取鼻(かじとりばな)を目指します。

[七五三ヶ浦]

七五三ヶ浦は、難読地名としていまばり博士検定でよく問われます。そこは御崎神社のある烏鼻と梶取鼻に囲まれた谷間の浜で、キャンプ場と釣りの穴場でも知られ、沖には広島県呉市の大崎下島と斎島(いつきしま)を目視できます。また、谷間で井戸水が得られることから、縄文遺跡も見つかっています。海賊よりも遠い昔から、海を生業に暮らす人々がいたようです。ロケーションは最高ですが、漂着ゴミは目を覆いたくもなりました。

今から10数年前の話になりますが、ここでNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最終回のワンシーンが撮影されました。秋山兄弟演じる阿部寛(好古役)と本木雅弘(真之役)が、小舟に乗って釣りをするシーンですが、湾内中央の岩礁を松山市高浜港沖の四十島(しじゅうしま/ターナー島)に見立てのでしょうか。

以上、北予に所在する4か所の海中鳥居を見て参りましたが、周辺の観光名所と抱き合わせで楽しんでもらえたらと思います。

【おわり】

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