レポート
2025.09.02

【灯台博士 大成さんによるコラム】ニホンカワウソに会いに行く

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに寄稿していただく海にまつわるコラム。

今回は、「ニホンカワウソに会いに行く」です。

現在、愛媛県総合科学博物館(新居浜市大生院)では、愛媛県の県獣でもあるニホンカワウソについての特別展を開催中です。

その名も「もっと知りたい!史上最大のニホンカワウソ展」ということで、一つの博物館で見られるものとしては国内最多とみられる標本43点が集結しています。すでに環境省では平成24(2012)年に絶滅を宣言していますが、愛媛県は絶滅危惧種にとどめ、調査を継続中です。

かつては全国各地の河川や海岸に生息していましたが、毛皮目的(襟巻など)の乱獲や河川の汚染、護岸工事ですみかや餌を奪われるなどして数が減っていきました。愛媛県が県獣に指定した翌年の昭和40(1965)年には国の天然記念物となり、県立道後動物園で昭和31〜44(1956〜69)年にかけて計約10頭が飼育されていた時期もありました(愛媛新聞/2025年6月25日付参照)。
昭和41(1966)年には南宇和郡御荘町(現、愛南町)に保護施設「カワウソ村」が開設されるなど、確認事例の末期(1960年代)は宇和島以南のリアス海岸がカワウソの〝終の棲家〟(ついのすみか)のような印象を受けます。現在の県立とべ動物園(道後から移転)で飼育されているのはコツメカワウソで、県獣のニホンカワウソではありません。ただ、コツメカワウソの愛らしさを観察することで、それがイタチのような生き物と分かります。

[二ホンカワウソの襟巻(『今治地方の伝説』より)]

昭和48(1973)年生まれの筆者自身も、生きたニホンカワウソを見たことはありません。そこで、息子の夏休みにかこつけて、家族で特別展を鑑賞することにしました。愛媛県で最後に目撃されたのは、ちょうど50年前の昭和50(1975)年4月、宇和島市九島の海岸近くの畑でした。弱っていたので発見者が保護しましたが、間もなく死んだため標本となりました。

[愛媛県で最後に見つかった二ホンカワウソの標本]

今回の展示では、後ろ足で立った状態で愛らしい表情を見せています。一方、愛媛同様に絶滅危惧種にとどめる高知県では、昭和54(1979)年に須崎市の新荘川で目撃されていますが、それが国内の確認事例の最後となっています。筆者が今回の展示で一番印象に残ったのは、入口付近に展示されている昭和29(1954)年に喜多郡大川村湯場(現、大洲市中部の山間部)で見つかったニホンカワウソの標本です。

[昭和29年に見つかったカワウソの標本]

イタチよりは大きい印象を受け、毛並みの良さから、これを防寒着用の毛皮や薬に使う商業目的で捕獲しようとしたハンターの気持ちを連想してしまいました。当時の新聞も展示され、発見されたことがいかに珍しいことなのか、数が減り続けていった時代背景も読みとることができました。そして展示の鑑賞を進めていくと、このメスのカワウソには胎内に赤ちゃんがいたことも判明し、薬品に漬けた状態で2匹が保存されていることに驚かされました。

[右手前は胎内にいた赤ちゃん]

 展示では民話にもふれ、県内のカッパ伝説とカワウソを重ね合わせることで、人々の生活に当たり前のようにいたニホンカワウソを感じとることもできました。筆者の住む今治市では、伯方島や来島・馬島などに「エンコ」と呼ばれるいたずら好きの妖怪がいて、人々を困らせるという民話が残されています(大沢文夫著『今治地方の伝説』参照)。
おそらく、これがニホンカワウソから派生した民話だと思われますが、実際に多く棲んでいたのが魚島村の江ノ島(現、越智郡上島町)でした。付近は藩政時代から鯛の好漁場で知られ、カワウソたちの楽園になっていたのでしょう(魚島の島名は、鯛が豊富に獲れたことに由来)。それらが漁村の魚島篠塚漁港に現れては、生け簀の魚や干した海産物を盗み取るなどのいたずらをしていても不思議ではありません。その関係か、カワウソのいたずらを防ごうと、篠塚港付近にはエンコ除けのまじない棒の六角棒が立っていたといいます(船折瀬戸に臨む伯方島の有津海岸にも、エンコ石と呼ばれる棒状の石柱を確認できる/写真掲載)。

[伯方島有津の「えんこ石」]

そして、昭和40(1965)年3月に江ノ島で捕獲されたものが剥製となって、愛媛県立博物館(現、愛媛県総合科学博物館)で標本展示されました。この件に関しては、同年9〜10月放送のRNK「季節の手帳」魚島シリーズの中で、当時同博物館長だった八木繁一氏(1893〜1980)が「明治40年(1907)頃、魚島までわざわざカワウソを獲りに来た人があり、瞬く間に16頭捕まえて持ち帰った」と語っていて、〝今では絶滅寸前〟とのことでした。八木氏は、筆者と同じ今治市波方町出身で、昭和天皇のご学友として知られています。昭和31(1956)年から県立博物館の設立と発展に力を注ぎ、同34年から児童のための自然科学教室を始めた功労者でもあります。その八木氏旧蔵の資料も、今回の特別展で見ることができました。

[昭和天皇と八木繁一氏の交流(昭和41年4月18日/萬翠荘)]

 次に紹介する事例も、八木氏に関係するものです。昭和41(1966)年4月17日、愛媛県温泉郡久谷村(現、松山市)で天皇皇后両陛下をお招きした全国植樹祭が開催されました(来年、60年ぶりに愛媛で開催予定)。
16日午前中に岡山県宇野港(現、玉野市)から両陛下は特別船こはく丸(3,000総㌧)へご乗船し、同日夕方に松山港高浜県営桟橋から伊予路に入られますが、本船が魚島沖を航行した際、同乗した久松愛媛県知事が「この地方の江ノ島や明神島(四阪島の一つ)にも国の天然記念物のニホンカワウソが棲息しています」と説明しています。すると天皇陛下は、「そうか。ニホンカワウソは佐田岬にしかいないかと思った」と笑われたそうで、18日に萬翠荘に立ち寄られた際は、八木氏(当時、県立博物館嘱託)との再会を喜び、同氏の解説でニホンカワウソの展示品をご覧になりました。この様子は、同年4月18日付の愛媛新聞夕刊1面に掲載されていて、天皇陛下はユーモラスな表情の二ホンカワウソを前に微笑み、その背をなでられています。今回の展示品にも、その時の様子を示す写真額が展示されていました。

現在開催中の特別展は9月23日までとなります。

ニホンカワウソの生態や歴史を知ることで、水辺の生き物たちにとっての棲みやすい自然環境について理解を深めていただけると幸いです。


[二ホンカワウソのゆるキャラ(須崎市・愛南町)]

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