レポート
2024.12.11

【灯台博士 大成さんによるコラム】釣島灯台へゆく 〜番外編〜

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに寄稿していただく海にまつわるコラム。

今回は、「釣島灯台へゆく 番外編」です。

 

釣島灯台へゆく 〜番外編 四国村ミウゼアム

釣島灯台は、瀬戸内海航路で8番目に誕生した洋式灯台で、初点灯は明治6(1873)年6月15日のことでした。同じ頃に築かれて酷似する灯台が備讃瀬戸にある鍋島灯台(明治5年11月15日初点灯)で、こちらもブラントン設計の現役灯台です。この鍋島(なべしま、坂出市与島町)は、瀬戸大橋から下車できる与島とは防波堤でつながっていて、サクラの時期や灯台記念日に近い日に灯台が一般公開されているようです。灯台官舎(吏員退息所)は、平成3(1991)年に灯台が無人化されるにあたり、翌年に高松市屋島の四国村(現、四国村ミウゼアム)へ売却移設されました。

11月1日に釣島灯台を視察した筆者は、同月24日にその鍋島灯台の旧官舎を視察する好機にめぐまれました。今治市近見地区の住民・法人らで組織する「しまなみ海道周辺を守り育てる会」というまちおこしグループが研修旅行を企画し、その行き先の一つが四国ミウゼアム(公益社団法人 四国民家博物館)だったのです。同会は、地元の大浜灯台跡地(国有地)の活用を今治市へ要望中で、国から今治市へ同所の払い下げが実現すれば、隣接する相の谷1号墳(愛媛県最大の前方後円墳)や小湊城跡(村上海賊ゆかりの日本遺産)と併せて、そこを今治市の海事公園第1号とする夢を抱いております。そのためにも、先進地視察は欠かせないとして、四国ミウゼアムと男木島(おぎしま)灯台をバス2台と海上タクシー2隻を仕立てて約60名で訪ねることにしました。

現在、四国ミウゼアムには、瀬戸内海の航路標識ゆかりの建造物として大久野島灯台・江埼灯台退息所・鍋島灯台退息所・クダコ島灯台退息所が移築保存され、旧官舎はすべて国登録有形文化財となっています。

[江埼灯台 退息所]

 

[鍋島灯台 退息所]

 

[クダコ島灯台 退息所]

 

大久野島灯台は、今治市の大下島灯台と同じ布刈瀬戸8灯台の一つで、平成4(1992)年3月の建替えにともなって〝ウサギの島〟の大久野島(現、竹原市)からから移築保存されました。筆者お目当ての鍋島灯台退息所は、釣島同様に暖炉を備えるなど石造の洋式建築でありますが、決定的な違いがありました。それは、長崎のグラバー邸のようなベランダが付属し、トスカナ式の石柱が屋根のひさしを支えている点です。星野宏和氏(ペンネーム灯台研究生)の論稿によると、明治10年代まではこうしたベランダ式の官舎がよく見られ、20年代以降は釣島のような箱型の意匠に定まっていくとのことです(「明治の灯台の話(63)釣島灯台」『燈光』第66巻 第1号)。同じ気候風土の中、どうして釣島と鍋島が同時期の工事にもかかわらず意匠を変えたのかは謎です。

 江埼灯台退息所は、かつて明石海峡航路沿いの淡路島北部にあったもので、灯台は明治4(1871)年6月14日に初点灯しています。こちらもブラントン設計の石造の洋式建築となります。鍋島も江埼も、退息所内部には暖炉があって床はフローリングです。一方、クダコ島灯台退息所は外壁がレンガ造でモルタル仕上げとなり、鍋島・江埼よりも約30年新しい明治36(1903)年の竣工となります。この頃になると、お雇い外国人の手を離れて日本人の技師・技手によって官舎は造られるため、内部は畳敷きの部屋で、五右衛門風呂も備わっています。

[クダコ島灯台退息所の風呂場]

 

[クダコ島灯台退息所の居室]

 

この官舎のもとの所在地は、中島と怒和島の間にある周囲1.8㎞のクダコ島(無人島)で、釣島からも見えています。釣島灯台に関心を持ちの方は、四国村ミウゼアムを訪ねた際、それら3つの旧官舎をぜひご覧いただきたく、比較ができるかと思います。

 実は筆者が四国村ミウゼアムを訪ねた日、同所ではコスプレのイベントが開催されていました。イベント参加者だけで200名はいたようで、アニメ「鬼滅の刃」のキャラに扮した若者を多く見かけたように思います。中には露出が多い女性がいて目のやり場に困りましたが、同所は移築された古建築が多くて映画村のような場所であり、ロケーションには最適です。このため、コスプレイヤーはグループでカメラマンを雇うなどして、お気に入りの場所で撮影に興じていました。灯台エリアにも10人ほどいたでしょうか。釣島灯台の今後の活用を考えた時、若者をターゲットにこうしたイベントを仕掛けてみるのも一案かも知れません。[四国村に集いしコスプレイヤー]

 

 

釣島灯台へゆく 〜番外編 男木島灯台

つづいて男木島(おぎしま)灯台のお話です。こちらの灯台を視察しようと思えば、高松港から女木島(めぎしま)・男木島行きのフェリー(雌雄海運)に乗船する必要があります。女木島は、桃太郎伝説の「鬼ヶ島」のモデルとなった島です。この定期航路は1日6便あり、両島を1日かけて楽しむのがオススメの観光コースかも知れません。

[男木島]

 

高松港から女木島までが20分、女木島から男木島までが20分の船旅となります。そんな訳で、男木島灯台だけをねらった観光は片道40分の船旅で、今治市からの日帰りツアーではあまりにタイト。しかも周囲約6㎞の男木島は、フェリー桟橋から見て灯台は島の対角線上にあり、徒歩のアクセスは片道約30分かかるとのことです。今回は高齢の参加者が多いため、とてもフェリー桟橋から往復1時間は歩けません。そこで、海上タクシー2隻をチャーターして高松港を出港し、灯台そばの浜から上陸。高松海上保安部のご協力で、灯台内部の見学もできました。

[海上タクシーで男木島に接岸]

[海上タクシーで男木島に上陸]

 

[男木島灯台]

 

男木島灯台は明治28(1895)年12月10日に初点灯した石造灯台で、備讃瀬戸東航路の東端に位置しています。このため、同所からは瀬戸大橋を遠望することができ、すぐ沖を往来する大型船につい見とれてしまいます。この灯台の魅力の一つが、山口県の角島(つのしま)灯台とともに、石造灯台ではこの二つだけが無塗装の灯台であるということです。一般的に、灯台の構造が白色円形石造と表記されれば、石造の表面は白く塗られていることなり、石材の種類に意識は向きません。これが無塗装だと、石の風合いが自己主張を放つことで、どの産地の石か気になります。男木島灯台の石材はご当地の〝庵治石(あじいし)〟で、角島灯台もご当地の〝徳山石〟を用い、ともに花崗岩(かこうがん)となります。釣島灯台は、官舎の外壁にも花崗岩が用いられ、この産地については先月号➀で紹介しました。石造灯台の魅力を語るなら、石へのコダワリはあってしかるべきで、釣島灯台はもっとPRすべきだろうと思います。ちなみに道後温泉本館の神の湯浴槽石は大島石で、湯釜は庵治石を用いています。大島石は日本銀行本店や赤坂離宮、大阪の心斎橋や難波橋などにも用いられ、県内の石造灯台では中渡島灯台(明治33年竣工)に用いられたことが分かっています。伊予鉄道路面電車の敷石は赤味を帯びていることから、〝青御影〟(あおみかげ)とも称される大島石とは異なる花崗岩を用いていることが分かります。

男木島灯台も釣島灯台同様に国指定重要文化財でありますが、大きな違いに気づきました。旧官舎が灯台資料館として一般開放されていたことです。週末や夏の繁忙シーズンは管理人が資料館の開閉を行っていて、この日もちょうど居合わせました。[男木島灯台の旧官舎・倉庫]

 

若いその男性は県外からの移住者で、高松市からの委託で資料館とキャンプ場の管理を行っているそうです。肌寒い日でしたが、県外のキャンパーが1組いてくつろいでいました。その管理人さんとしばし会話をしましたが、彼は男木島が舞台となったゲーム「Summer Pockets REFLECTION BLUE」でこの島の存在を知り、実際に現地を訪れて移住を決断したとのことです。現在の島の人口は約150人ですが、彼のような移住者が3分の1を占め、その半数が子育て世代だというのです。瀬戸内国際芸術祭の影響もあって、平成26(2014)年以降から移住者が増え始め、小中学校や保育所も再開にいたりました。若い世代にとって、ワクワクするようなコミュニティが形成されているようです。筆者との会話を終えると、彼は草刈り機を抱えてキャンプ場周辺の雑草を刈り始めました。

希少な灯台があるから移住者が増えたわけではなく、イベントを巧みに仕掛け、本来その島が持っていた魅力を引き出したことが移住者を呼び込む要因となったのでしょう。灯台も石づくりのアート作品ととらえれば、この島の魅力の一つとなります。釣島が再生し、移住者を呼び込むとすれば、そこで子育て世代が生活できる生業が必要となります。テレワークの環境は整っているのでしょうか。ユニークな人材を呼び込めば、人が人を呼ぶ相乗効果が生まれます。そこでしか味わえない体験やサービスを仕掛ける必要がありそうです。まずは、松山市が灯台官舎の管理人(移住者や地域おこし協力隊)を釣島の空き家に住まわせ、官舎を一般公開することです(トイレも改修)。海上保安部にも灯台公開日の回数を増やしていただき、アニメ・ゲーム・芸術・コンサート・映画&テレビロケ地などをからめたイベントを仕掛けてみてはどうでしょう。釣島灯台には「燈の守り人」の擬人キャラもありますから、松山市にはうまく活用して欲しいものです。[男木島灯台資料館の擬人キャラ]

 

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