28㎝榴弾砲の砲座は、頂上近くの中部堡塁(砲台)に今も6門分が遺構として残されています。
[中部堡塁跡(円形は砲座)]
この要塞は昭和2(1927)年に波止浜町の公園となり、太平洋戦争で高射砲陣地が築かれるなどした他地域の要塞と違って、複層した戦争遺跡にはなっておりません。これに対して、同じ芸予要塞でも大久野島にあった要塞跡は、昭和時代に入って陸軍の毒ガス工場へと姿を変え、新たな鉄筋コンクリート造の施設などが設けられています。小島の戦争遺跡の良さをあえていうならば、保存状態が良好であるということです(草木に埋もれた荒れ放題ではない)。明治時代に築かれた要塞の多くは、どれも赤煉瓦・石垣・コンクリートを組み合わせたよく似た構造をしていて、地形に合わせて少し意匠や石材が違う程度です。
[小島(来島海峡大橋からの眺め)]
全国に約100か所の砲台(小島は3つでカウント)があったようですが、小島は早く廃止になって観光目的で保存が図られたことで、後世の破壊や改変を免れることができました。かつての軍道は遊歩道へと変わり、その街路樹として植えられたツバキは、冬に花を咲かせ、花びらが落ちると赤い絨毯(じゅうたん)のような場所も見られます。
ところがここ2~3年、風光明媚な小島の景観を乱す由々しき事態が起きています。20年近く前には40名ほどの島民がいましたが、現在は10人を切っております。耕作者がいなくなったことで、ミカン山や野菜畑は藪へと変わり、そこへ島から島へと(橋を使わず)泳いで渡ってきたイノシシが〝やりたい放題〟なのです。遊歩道沿いはミミズがいるのか、コンクリート舗装の路面には砂礫が散乱。丘陵窪地の弾薬庫跡周辺は地面を掘り返した跡が如実で、中部堡塁の砲座周辺にも荒らされた痕跡が確認できます。
[弾薬庫跡(屋根は朽ちて崩落)]
[中部堡塁の連絡階段]
もはや〝イノシシの島〟と化し、ジブリ映画の『もののけ姫』のイメージに近づいております。かたや、同じ芸予要塞の大久野島は、〝毒ガスの島〟から〝ウサギの島〟に変貌を遂げ、ここ10年でSNSやインバウンド効果で観光客が一気に増えました。とても対照的といえます。小島は、しまなみ海道開通後に景観整備の草刈りが進み、南部発電所跡の屋根修理や桟橋前の観光待合所設置など、観光客を迎える態勢が整いつつありました。
そんな変化に頭を悩ませるのは筆者くらいか。その変貌ぶりは、新聞・テレビ等であまり報道されることはありません。学生たちは、今のありのままでも十分楽しめたようで、1時間半の島滞在で、南部発電所・弾薬庫・中部堡塁・頂上観測所を見学しました。これらに加えて南部砲台や北部砲台、探照灯台の遺構も楽しもうものなら、3時間弱は滞在時間を見込む必要があります。当時の戦史・戦術だけでなく、海上交通の航法や建築技術など広範な知識を持ち合わせたガイドを帯同すれば、10倍も20倍も楽しいツアーになることでしょう。ピクニックやハイキングの感覚で楽しむなら、頂上観測所で軽食をとって和むのがオススメです。
[頂上観測所跡]
一昨年の授業で訪ねた際は、頂上で10分余り休憩時間を与えたところ、360度パノラマの絶景に癒やされてベンチで仮眠をとる男子学生がいたほどです。
参考までに、南部発電所の構造は煉瓦造で、もとは木造の小屋組で屋根には菊間瓦を葺いていました(現在はスレート葺き)。
[煉瓦造の火力発電所跡]
撮影する際は煙突も被写体にとらえ、それが石炭火力発電所であることを第3者に伝える工夫が大切です。学生たちには、そこでクイズを出題。「ここでつくられた電気の使い道は?」 もちろん、島民の生活の灯りではない旨を補足。正解は、夜間の敵艦侵入に備えたサーチライト用の電源なのです。そのために、探照灯台が南部と北部にそれぞれ1か所ずつ置かれていました。敵艦の位置を捕捉できないことには観測所からの指令が砲台で待機する砲兵のもとには下りてきません。無闇に発砲しても、砲台から見えない場所にある敵艦には命中しません。また、敵艦からこの島が要塞であることも、サーチライトを照射したり、砲撃を与えないことには分かりません。島は、外観からは要塞と気づかれないよう、丘陵を削ったり、土を盛ったりして、漁村の小さな島としてカムフラージュされているのです。
ガイドの度に、クイズで一番ウケがいいのは、中部堡塁の砲座そばにある伝声管です。「この穴は一体何でしょうか?」 参加者に実演してもらうことで、頂上の観測所からここまで方位・射角などの指令が下りてくる仕組みを理解することができます。しかし実際は、有線ケーブルを張って、電話で伝えることも可能でした。被弾してケーブルが切れた際は、伝声管を使うことを想定していたのかも知れません。現地の解説看板には、そこが「中部砲台」と記されていますが、堡塁の機能を持っていたことを示す必要があります。島に3か所あった砲台でそこが最も大切な場所で、司令官が陣取る陣地であるのです。敵兵士の上陸も想定していて、頂上観測所を制圧されたら、要塞の機能は失われてしまいます。このため、頂上観測所の一段下には塹壕(ざんごう)が張り巡らされていて、これは、しまなみ海道開通後の草刈り整備を今治市がつづける中で筆者は見つけることができました。
昨年、小島砲台を題材に卒業論文に取り組む愛媛大学生2名を、筆者はガイドさせていただきました。その時はさすがに3時間弱のコースで実施し、持てる知識の多くを披露させていただきました。筆者の中では、しまなみ海道の観光スポットの中でも、小島はもっともガイドの力量が求められる場所であります。価値を深掘りすることで、観光客の満足度にも大きな差が生まれることでしょう。
大成 経凡
イベント名 | 来島海峡の小島へゆく② |