「椀舟(わんぶね)のふるさとで〝宮島さん〟②」
では、この地域色豊かな祭礼行事はいつから行われるようになったのか。平成18年(2006)に地元の古老が記した由来書によれば、
「大正初期には余興として仮船を造り点火して数百を流し神に奉るという行事があり、末社中随一の祭礼との自負を地元住民は抱いていた」という。
もともと桜井地区は、明治・大正期は漆器産業で潤ったまちで、桜井河口港から漆器(椀・膳)と行商人を載せた〝椀舟〟と呼ばれる木造帆船が九州方面へと船出していった。
(碗舟の模型<野田房吉制作、井野屋河上家所蔵>)
(桜井漆器の鯛皿<小谷屋松木家所蔵>)
明治後期には、これら今治地方の漆器商人(いわゆる伊予商人)の中から、月賦販売の商法で漆器を売りさばくものが現れ、
漆器以外に呉服や家具を取り扱う月賦百貨店へと業態を変えていくことになる。この月賦商法は、彼らが徒弟を暖簾分けさせることで全国に広まっていったようだ。
〝クレジットの丸井〟の創業者・青井忠治(富山県出身)も、伊予商人から暖簾分けされたうちの一人である。
このため、綱敷天満神社境内には、月賦販売発祥記念碑が建つ。
(月賦販売発祥記念碑)
やがて明治末期に定期航路の蒸気船が桜井に寄港し、大正12年(1923)に国鉄伊予桜井駅が開業すると、こうした椀舟は姿を消していった。
出航を見送る地元住民の目には、その光景は特別なものとして映っていたことだろう。
そういう意味では、昭和27年(1952)創業の地元の和菓子店「清光堂」(現、一福百果 清光堂)考案の〝椀舟(最中)〟は、
地域のノスタルジー(郷愁)を再現したものといえる。
このお菓子は、シソ味の小倉あんが、和船をかたどった最中に包まれている。
昭和40年(1965)の第16回全国菓子大博覧会で金賞牌を受賞し、桜井を代表する銘菓となった。
現在、同店は2代目・3代目の経営になったが、原点の〝椀舟〟を継承しつつ、
〝まるごとみかん大福〟が新たな看板商品として全国津々浦々、都市圏にも出荷されている。
(清光堂の店頭)
結局、今年の〝宮島さん〟には35隻の奉納船が集まり、コロナ退散の願いも載せて沖へと船出していった。
翌日には、桜井浜から数㎞離れた来島海峡を漂うわら舟1隻が目撃されている。
ユニークな祭礼行事の背景には、この地区が歩んだ海や船にまつわる歴史が大いに関係しているようで、
海運・造船・舶用機工業が盛んな〝日本最大の海事都市〟を標榜する今治市にとって、未来へ継承してもらいたい大切な祭礼行事といえる。
(わら舟流しを見送る住民)
今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡
イベント名 | 宮島さん |