月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに寄稿していただく海にまつわるコラム。
今回は、【法華津湾へゆく① ~忘れもの探しの旅~】です。
2022年夏から連載が始まった本コラムも、今月号で最終回を迎えることとなりました。初回は、大洲市の「海とつながる肱川の舟運文化」を取りあげたように思います。筆者は今治市出身・在住ですが、愛媛全県下の海をテーマにしたコラムを取りあげるのなら、遠く離れた南予の題材からと決めていました。そして最後も南予を題材に選ぶことになります。やり残したテーマに、燧灘の海苔養殖があります。海を有する自治体では、四国中央市と西予市を取りあげることができませんでしたが、今回はその一つ、西予市明浜町の法華津(ほけつ)湾がテーマです。法華津といえば、宇和町から吉田町に抜ける国道56号沿いに法華津峠があります。その峠から宇和海を見下ろした明浜町沿岸が法華津湾となります。リアス海岸の教科書のような地域です。
2025年夏の本コラムで愛媛県総合科学博物館のカワウソ展を取りあげた際、愛媛の海岸に生息するカワウソが、人々の営みの中で河童伝説(エンコ)に転じたことを紹介しました。その河童伝説を今に伝えるのが、西予市明浜町高山の若宮神社です。同社には河童をかたどった石像の狛犬があり、筆者はようやく参詣がかないました。

[若宮神社]

[河童の狛犬]
今年2月下旬、同市宇和町の愛媛県歴史文化博物館(特別展)を訪ねる機会があり、時間調整して高山地区を目指しました。往路は狭い県道344号(宇和高山線)を、復路は拡幅整備が行き届いた野福峠越えの県道45号(宇和明浜線)を軽自動車で走りました。往路の県道は23年前にも利用しましたが、工事規制で足止めを食らい、30分で行けるところが1時間弱かかったという苦い想い出があります。
今回も拡幅工事の現場に遭遇しますが、離合車も少なくて無難に高山地区に到着。23年前のお目当ては、かつて石灰岩の採石業で賑わった近代化遺産の観光でした。石灰窯を撮影するや、早々にトンボ返りという、今思えばモッタイナイことをしました。県内では、同地区と今治市関前諸島の小大下島(こおげしま)が、石灰岩の採石業で栄えた双璧で、ともに昭和50年代に廃業します。当時は、その廃墟が近代化遺産としてにわかに注目を集めようとしていた時期でした。今回はさらに目が肥えたことで、高山地区の家並みに興味を惹かれました。特に狭い路地が迷路のように張り巡らされていて、屋敷の基礎石の多くが同地区で採れる石灰岩でした。

[高山地区集落の路地]
港のそばにある賀茂神社には、明治9(1876)年に地元の若者組が奉納した石灰岩の常夜灯(市指定文化財)があり、筆者の背丈を優に超える大きさです。鳥居や注連石(犬養毅揮ごうの刻銘)は花崗岩なのに、そこにはご当地感を強く感じました。

[賀茂神社の常夜灯]
20年近く前、筆者の親友がこの地区に転勤で住んだことがあり、社宅に住み始めて最初の驚きが、産まれたばかりの長男の泣き声に、近所の住民が次々と魚や野菜を持って訪ねてきたとのことでした。住民たち曰く、同地区で赤ちゃんの泣き声を聞くことじたいが久しく、幸せな気分にひたれるとのことでした。その泣き声をこだまさせた要因の一つが、その路地だったことを今回改めて知ることができました。長男のお陰で、親友は近所の挨拶回りの手間が省けたと喜んでいました。
その親友も11年前にすい臓がんで亡くなりました。享年52歳。筆者が今、その年齢に達していて、奇しくも今年の正月、ご子息と10年ぶりに電話で会話をしました。親友は、研究機関に属さない在野の歴史研究者で、城郭研究を中心に幅広いジャンルをこなし、多くの仲間がその早すぎる死を悼みました。彼は高山地区で数年間過ごした後は、伊予市郡中へ転勤となりました。その郡中地区を、本コラムではクジラを題材とし、明浜町にあるクジラの慰霊碑3基を紹介しました。今回は、そのうち「碆ノ手(はやのて)の鯨塚」と「子持岩の鯨塚」の2基を写真におさめることができました。クジラ1頭の死に対して、1基の慰霊碑を建立するほど、捕鯨の与える影響が大きかったことを物語っています。

[碆ノ手の鯨塚]

[子持岩の鯨塚]
高山地区を散策することで、親友との想い出がよみがえり、彼が同所で過ごした日々に思いを馳せることができました。その日は黄砂が飛散し、沖の景色がモヤっていましたが、湾の水面が黄金色に輝き、とても幻想的でした。

[野福峠からの眺め(俵津地区)]
改めて、河童とクジラに話を戻すと、河童を愛媛県の県獣カワウソにおきかえると、かつて法華津湾ではカワウソやクジラにとって大切な栄養源であるイワシ等の小魚が多くいたことを示唆し、豊かな海だったことが連想できます。高山地区では江戸後期から昭和50年代まで石灰業が地場産業として根づくも、漁業は持続可能な産業として絶えることなく今に続いています。現地を訪ねるまで、筆者は同所を近年話題の〝狩浜の段畑〟(国重要文化的景観)のイメージから、柑橘が盛んな農村地域でとらえていました。漁村景観もしっかり継承され、今でも港には漁船が多く係留して、沿岸では真珠・ハマチ・タイなどの養殖が行われています。水産加工場も見受けられ、水産業の息づかいを肌で感じることができました。