レポート
2022.10.15

港町・八幡浜の今昔

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

今回は「港町・八幡浜の今昔」です。

 

8月31日朝、豊後水道の宇和海に臨む八幡浜港から、翌日に漁解禁を迎える沖合底引き網(中型トロール船)漁の漁船2隻「第15・16海幸丸」(各125㌧、全長33m)の出漁式があった。この漁は2隻で一つの網を引く漁法で、最盛期の昭和23年(1948)頃は八幡浜に27統54隻あったという。現在は昭和水産の2隻だけとなり、四国で唯一の操業となっている。

[昭和水産のトロール漁船(八幡浜市向灘)]

 

両船は、令和元年(2019)7月に国のリース事業や市の補助を活用し竣工した新造船で、その活躍は西日本有数の規模を誇る八幡浜魚市場の賑わいにも大きく影響する。八幡浜は、柑橘以外に蒲鉾・じゃこ天などの練り物が特産で、近年はチャンポンやマーマレードが話題だ。

筆者は、昭和48年(1973)に海運のまち・越智郡波方町(現、今治市)に生まれたが、母が八幡浜市出身ということもあって、夏休みのお盆は八幡浜で過ごすのが恒例であった。リアス海岸の湾奥にひしめくトロール船は、今治地方では見慣れない船種のため強く印象に残っている。現在の八幡浜市役所付近が内港だったことも記憶にあり、昭和53年(1978)着工の埋立て工事を目の当たりにしている。

[八幡浜港の現況(新港湾ビルより)]

 

今、その近くには塩パン発祥の人気店「パン・メゾン」(同市北浜)があり、祖父母の墓参で現地入りする際の楽しみの一つとなっている。祖父母は長年借家住まいだったが、晩年に新町商店街(現在、黒い商店街とも)背後の高台の中古別荘を購入し自宅とした。眺めも良く別荘には最適だが、石段の昇り降りがきつくて自宅には不向きであった。石段の途中には小さな神社があり、荘厳な社殿に目を奪われた。しかし、埋立てによる開発が進むにつれて境内は荒廃していった。そこが金刀比羅神社であると知ったのは30歳代の頃で、母が亡くなって以降のことだ。祖父母宅の住所は「琴平町」と称したが、その神社に由来するものであろう。そもそも金刀比羅神社は海上安全の祈願で船主らの信仰が厚く、筆者の実家も海運業を営んでいた頃は、正月は欠かさず香川県琴平町の本社参詣を行っていた。

[金刀比羅神社の現況(同市琴平町)]

 

筆者は、かつて瀬戸内海各地の塩田跡を調査で訪ねたことがあった。塩竃神社の多くが、塩田の焼失とともに寂れてしまっていた。金刀比羅神社の荒廃も、港や海運業の盛衰と深く関わっているように感じられる。一方、その「琴平町」と隣接する「港町」は、明治から昭和初期に建てられた商家のたたずまいに風情があり、そこがかつて〝伊予の大阪〟とも称され、商船で賑わっていた頃の活気を伝えてくれる。令和2年(2020)6月、その象徴として明治6年(1873)竣工の商家「菊池清治邸」(同市浜之町)が、市の保存整備事業で一般公開されることになった。

[菊池清治邸(市指定有形文化財)]

 

施主の4代目菊池清治は、明治8年(1875)に蒸気船「八幡丸」(360㌧)を建造して宇和島-大阪に就航させるなど、海運業を基盤に地元の産業振興に貢献したことで知られる。

さらに最近の動向として、今年4月以降、八幡浜港で新フェリーターミナルの供用が始まった。新港湾ビルの4階展望デッキから眺める九州行きフェリー(別府・臼杵行き)は壮観で、海と船への浪漫をかきたてられる。

[新港湾ビル展望デッキからの眺め(宇和島運輸フェリーと九四オレンジフェリー)]

 

隣接する道の駅「みなっと」(2013年開駅)との相乗効果に期待だが、その「みなっと」を観覧場所に4年ぶりの八幡浜みなと花火大会が8月15日に開催された。筆者にとっては、妻・長男とともに30余年ぶりに眺める母の故郷での花火大会となった。

[第52回八幡浜みなと花火大会]

 

 

今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡

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イベント名港町・八幡浜の今昔
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