月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに寄稿していただく海にまつわるコラム。
今回は、「高縄半島の最北端をゆく②」です。
高縄半島最北端にある大角海浜公園は、海水浴場とキャンプ場の穴場スポットといってもいいでしょう。
[9月末の海水浴場(背後は大三島)]
[人気のキャンプ場]
地球温暖化の影響もあってか、9月29日に現地を訪ねた際も、海水浴を楽しむ観光客がいて驚きました。①で触れなかった同公園内の魅力や観光資源について紹介したいと思います。
筆者が小学生の頃に、波方町では町内の旧跡に解説板を立て、散策しながら愛郷心を培う「ふるさとこみち」を整備しました。解説板は何度かリニューアルされましたが、同公園近くの水崎遺跡からは縄文時代の土器片や漁労に用いや石錘(せきすい)が見つかり、2,000年以上前からこの地に人の営みがあったことに驚きました。また、来島水軍の見張所「大角鼻番所」の解説板もあり、そこが村上海賊の盤踞(ばんきょ)した場所として記されることから、子ども心にも勇ましく感じたものです。ただ筆者が20歳代後半になって、その根拠が信憑性のある1次史料ではないと知り、歴史ロマンを打ち砕かれました(笑)。
それでも、園内には第6管区海上保安部の「来島大角鼻(くるしまおおすみはな)潮流信号所」が立地することからも、来島海峡航路において重要な場所であることには変わりはありません。
[来島大角鼻潮流信号所]
来島海峡には4か所に潮流信号所が立地し、電光表示で潮流情報の「N」「S」「0~9」「↑」「↓」などを航海者に伝えています。N・Sは北流または南流、算用数字は流速(1ノットは時速1.852㎞)、矢印は流速がこれより速くなる(↑)か遅くなる(↓)かを表し、同海峡で順潮の際は中水道(来島海峡第2大橋下)を、逆潮の際は西水道(来島海峡第3大橋下)を通航するという特殊なルール「順中逆西(じゅんちゅうぎゃくせい)」航法が存在します。水上交通では右側通行が世界共通のルールですが、この海峡航路は潮流の向きによって左側通行が1日2回存在するという、世界的にも珍しい場所なのです。園内にある潮流信号所は、伊予灘や周防灘を通って来島海峡に向かってくる船舶に対して情報を提供しています。夜間に来島海峡大橋のライトアップと併せて観賞すると、ロマンティックな気分に浸れることでしょう。
鼻先端の岩礁付近には、海中からそびえ立つセメントコンクリートの柱があります。これは日露戦争に備えて築かれた芸予要塞(げいよようさい)の遺構の一部です。要塞本体は、敵艦の豊後水道侵入を仮想し、来島海峡の小島(おしま)と三原水道の大久野島へ明治30年代に築造されました。小島の中部砲台には28㎝榴弾砲(りゅうだんほう)6門が配備され、明治35(1902)年9月末の射撃演習では千間磯(せんげんいそ)後方付近に標的の小舟を浮かべています。このことから、28㎝榴弾砲が来島海峡西口に差しかかった敵艦を想定していたことが読み取れます。飛距離は約10㎞だったそうで、千間磯後方は十分射程圏内となります。
[沖に浮かぶ千間磯(背後は大崎下島と岡村島)]
小島の頂上には、敵艦の位置を捕捉するために観測所(測距機)が設けられ、ピタゴラスの定理で数値を割り出したようです。その際に設けられた基準点がこの立標で、地元では〝メートル棒〟と称されています。大正5(1916)年に一度倒壊したようですが、まだ要塞が廃止されていなかったことで復旧したものと思われます(昭和2年に要塞は波止浜町へ払い下げ)。
[メートル棒(背景に大三島橋)]
他にも、波方町が「海運のまち」を標榜していたことから、大型船のスクリュープロペラとアンカー(錨)が園内に設置されています。一般にプロペラで屋外展示されるものは銅合金製の未使用のものが多く、今治市役所本庁前や波方公園など市内各地で鑑賞することができます。ところが、こちらは鋳鉄製の外国製年代物で、希少な舶用機械遺産といえます。大きさは直径5.5m・重量9.5tもあり、現存する鋳鉄製プロペラとしてはとても大きいようです。
[鋳鉄製の廃プロペラ(背後に潮流信号所と展望台) ]
由来も分かっていて、1930年代に英国西部カージフの鋳造所で製造され、英国の商船に搭載されてヨーロッパ~極東間の貨物輸送に活躍していたとか。取り外されて以降は、波止浜湾に沈められて船を係留するアンカーに造船所が使っていたそうです。有志の働きかけで平成4(1992)年に引き揚げられ、翌5年に(株)新来島どっくが波方町へ寄贈しています。設置から長い年月がたち、今では解説文が風化しているのが残念です。
以上、①②で大角海浜公園の魅力と観光資源を紹介しましたが、10月19日(土曜)13:00~に同公園で「太陽石油presents GO-MIX!」を開催予定です。南海放送ホームページか南海放送アプリで参加者募集中。定員100名になりしだい締め切りとさせていただきます。筆多くの方のご参加をお待ちいたしております(筆者も参加予定)。