レポート
2023.06.08

鯛を生かす漁師

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

今回は、「鯛を生かす漁師」です。

 

少し前の出来事となりますが、令和4(2022)年12月某日、今治明徳短期大学の拙授業「地域交流演習」に漁師の藤本純一氏(1982年生まれ)をゲストスピーカーでお招きしたことがあります。藤本氏は今治市宮窪町宮窪の漁師の家系に生まれた4代目で、地元の高校を卒業後に漁師となりました。今日では、全国のミシュラン星のシェフたちが彼の獲った魚を欲しがるという、伝説の漁師としてその名を知られています。フランス発祥の世界的なレストランガイド『ゴ・エ・ミヨ』(2021年版)でテロワール賞を受賞するほどの逸材です。

彼は、誰よりも地元の魚に熟知しているというプライドを持ち、自分で獲った魚を高値で取り引きする自信を持ち合わせています。

〝神経〆〟(しんけいじめ)という技で獲った魚の鮮度を保ち(最高の素材に処理)、魚市場を介さずにシェフの厨房へ鯛を送り届けるというビジネスを展開しているのです。筆者は、〝漁業の未来のかたち〟がそこにあると感じ、この授業では履修生以外の学生や教職員にも受講をうながしました。ちょうど、日本テレビ系列で「ファーストペンギン」という番組が放送されていて、地方で衰退する漁協の再生物語に関心が高まっていたのです。

ここで少し、宮窪という土地柄について説明したいと思います。宮窪は、しまなみ海道沿線の今治市大島の北東部に位置する人口約2,300人(令和4年3月末現在)の地域で、大島石の採石業と沿岸漁業が盛んです。大島石は高品質の花崗岩で知られ、歴史的建造物では日本銀行本店・赤坂離宮迎賓館・道後温泉神の浴槽石などに使用されています。今日でこそ、村上海賊(能島村上氏)の歴史が有名となり、村上海賊ミュージアムを観光の目玉に、能島城跡(国史跡)周辺を海上遊覧する潮流体験などで交流人口を生み出しています。今年で第28回を迎える水軍レース大会(7月30日開催予定)も、もとは宮窪漁師が納涼祭で実施していた押し船競漕をアレンジして復活させたもので、宮窪漁協のサポートで運営が成り立っています。

[水軍レース2006大会の光景(宮窪港)]

 

宮窪町友浦沖の燧灘(ひうちなだ)は、藩政時代には今治藩主が鯛網見物をしたこともあるなど、古くからマダイの棲息地(産卵場所)として有名です。昭和戦前まで鯛網観光が催され、その様子は今治観光名所絵葉書からもうかがえます。

今治沖の鯛網観光(昭和戦前の絵葉書より)

[今治沖の鯛網観光(昭和戦前の絵葉書より)]

その燧灘の中央にある愛媛県越智郡上島町の魚島(うおしま)は、もともと「沖の島」(沖島村)と称されていましたが、鯛縛網(しばりあみ)漁が盛んなことが影響してか、いつしか島名が魚島(村名も魚島村)となりました。同村が藩へ納めた租税の小物成(こものなり)には〝干鯛〟の品目が見られ、藩にとってマダイは幕府関係者への献上品にもなるほど、ご当地の特産として重要でした。

今日では、その燧灘を漁場とする今治地方有数の漁師町が宮窪です。しかし、そこで水揚げされた魚介類の多くが広島県尾道市の魚市場へ出荷されるため、今治市民に馴染みが薄いという課題がありました。これを克服しようと、しまなみ海道開通(1999年)を機に〝宮窪漁師市〟が始まり、純一氏の父・藤本二郎氏らで組織する「宮窪水産研究会」(宮窪漁協青年部有志)が発足時の担い手となりました。毎月1回、宮窪漁港を会場に、漁師自らが値段を決めて〝浜値〟で販売したところ、鮮度ある珍しい魚介類を求めて島外からもお客がやってくるようになりました。現在も、毎月第一日曜日の朝に開催されており、ドラの音を合図に10分ほどでお目当ての魚介類は売り切れるという人気ぶりです。この経験から、島外のマルシェなどで定期的にブースを出す漁師市メンバーも見られるようになりました。ちなみに、今ではすっかり人気の潮流体験も、もとは宮窪水産研究会と水軍ふるさと会(後身組織はNPO法人能島の里)が共同で始めたもので、当初は二郎氏の漁船を使って運航していました。

そんな偉大な父の存在に隠れていた純一氏でしたが、しだいに頭角を現すようになります。二郎氏と筆者が所属するNPO法人「能島の里」(2005年設立)では、定期的に宮窪でイベント行事を開催してきましたが、その際に来場者に振る舞う鯛のお造りを、20歳代の純一氏が担うようになっていきました。手際よく寡黙にさばく光景は、まさに鯛の解体ショーのように映りました。平成23(2011)年には、そんな藤本家と共同で〝潮流鯛姿燻製(愛称はスモーク・スナッパー)〟という、マダイまるごと燻製にするという商品開発を手がけたことがありました。

スモーク・スナッパー(現在は製造販売されず)

[スモーク・スナッパー(現在は製造販売されず)]

会員のつてで、日本在住のデンマーク人女性から燻製の手ほどきを受け、数百万円もする燻製機は、愛媛県の補助で購入しました。そもそも、これを始めようとする着眼点は、水揚げされた鯛の有効活用にありました(一般に天然マダイは、ゴチ網と呼ばれるタイ網漁で捕獲)。

平成23(2011)年3月7日付の愛媛新聞記事より (1) (1)

[平成23(2011)年3月7日付の愛媛新聞記事より (1)]

せっかくたくさん獲っても、値崩れや売れ残りが生じないよう、年間通して鯛を買ってもらえる体制づくりが求められました。当初は、近隣の造船所などから贈答用に大口注文があったようで、しだいに製造にも慣れてくると、鯛以外の魚介類にも挑戦するようになりました。ところが数年前、もう燻製はやっていないという情報を耳にし、一体何があったのだろうと筆者は不安にかられました。

その謎は、授業で語ってもらうことで解決しました。どうすれば高く売れるのか、どうすればおいしい状態を保てるのか。純一氏は全国各地の鯛を見分し、また、一流のシェフが手がける鯛の料理を食べ歩き、一つの流儀に到達したようです。それが〝神経〆〟でした。一本釣りで獲ったマダイを、ストレスを少なくした状態でしばらく漁船の生け簀で休ませてから〆て出荷。しかし、これは脳の神経を瞬時に破壊して、心臓は動いたままの状態とするため、鯛は死んではおらず腐敗は進行しません。シェフの厨房に届いても、まだ心臓は動いているのです。前半は講義形式で学生の質問に答えていただき、後半は調理実習室へ場所を移しました。ここで、もう一人のサプライズゲストの登場です。純一氏の魚を取り扱うミシュラン1つ星の寿司屋「あか吉」(今治市伯方町北浦)の大将・赤瀬淳治氏です。

赤瀬淳治氏(左)と藤本純一氏(右)

[赤瀬淳治氏(左)と藤本純一氏(右)]

赤瀬氏は〝動いている心臓〟を披露くださるなど、その包丁さばきに学生たちは釘づけでした。

[赤瀬さんの包丁さばきに熱視線]

さらに、刺身・うしお汁を受講生全員に振る舞い、魚の臭みが苦手と言っていた学生も魔法にとりつかれたような表情へと変わりました。

その日の鯛(1.6kg)は、伯方島と岩城島の間の海域で釣りあげたようで、時化の中で仕留めたようです。すでに高校1年生(当時)の長男も漁師の道に歩み始めており、長男は祖父・二郎氏の漁船で物心ついた時から漁に慣れ親しんできました。高校進学にあたって、水産学校をオープンキャンパスで訪ねた際、母親に語った言葉が「俺はこの学校に行かない!」でした。なぜかと訊くと、「この学校で学ぶことは、もうすでに体得しているから」とのことでした。この言葉を聞き、純一氏はわが子を頼もしく感じたそうです。

今回、わざわざゲストスピーカーでお越しいただいたのは、ちょうど松山市内で純一氏が開業したばかりの鮮魚店のコマーシャルもありました。松山市桑原1丁目にある「一里木マルシェ」(旧奥村ストア)内に鮮魚店〝蛭子丸〟がオープンし、新たなビジネスに挑んでいます。「俺の鯛の味がわかる学生がいれば、明日から従業員にしてもいい!」と強く言い放ち、帰っていきました。純一氏は、神経〆を武器にアジア進出も視野にあり、今後も目が離せない愛媛の〝希望の星〟なのです。 

 

大成 経凡

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