月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。
今回は、先月の続き、「三津浜ぶらぶら歩き」です。
[伊予鉄三津駅]
伊予鉄三津駅は、あの小説の坊っちゃんが三津浜港へ降り立ち、坊っちゃん列車に乗り込んだ駅となります。20年ほど前に駅舎を調査した際は、老朽化のため取り壊しが検討されていたように思います。住民から保存運動を希望する声も上がり、最終的には先代駅舎の意匠を残した形で再建が図られ、平成21(2009)年にリニューアルされました。訪ねてみると、駅舎の中がカフェや店舗になっていて、交流館としての機能を備えていました。
近所には、菓子メーカー明治のスナック菓子「カール」の製造工場もあり、車や電車の車窓からこれを眺めることができます。こどもの頃は〝それにつけてもおやつはカール〟のCMソングが耳から離れず、今年で筆者は50歳を迎える身でありながら、家族で「うすしお」「チーズあじ」を愛食させていただいております。訊けば、競争激化による販売低迷で、現在は近畿地方以西の限定販売とのことです。
[カール製造の四国明治松山工場]
三津駅と港山駅の間にカールの工場はありますが、郊外電車にしては両駅の間隔が短いように感じます。時刻表では2分の距離です。〝三津の渡し〟の最寄りの駅が港山駅となりますが、観察していると乗降者は少なく、どういう背景でこの駅は設置されたのでしょうか。
[伊予鉄港山駅]
そんな疑問を抱く人はそう多くないかも知れませんが、これにはきちんとした答えがあります。実はこの駅周辺に、かつて〝新浜塩田〟と呼ばれる入浜(いりはま)塩田があったのです。
入浜塩田とは、瀬戸内海沿岸で江戸時代中期以降に発達した製塩場で、遠浅の海浜を高石垣の堤防で取り囲み、その内側の地場で採鹹(さいかん)作業、堤防付近で煎熬(せんごう)作業を行うものです。湾内から潮汐を利用して海水を導き、新浜村だけでも明治30年代に14町2反歩(1町は約1ha)・年産5,000石の塩田がありました。このため、明治38(1905)年にわが国で塩専売制が敷かれると、大蔵省坂出塩務局の出張所が三津浜に置かれました。近郊の興居島(ごごしま)にも3か所で5.7町歩・年産6,200石の入浜塩田がありましたので、そこで産する塩も取り扱ったことでしょう。港山駅は、その塩を積み込む貨物駅として明治31(1898)年9月に開業した歴史があり、そもそも貨客専用の駅ではなかったのです。そしてこの塩田も、明治43・44(1910・1911)年の国策「第1次塩田整理」によって廃止となりましたので、土地利用が変わるなどして、人々の記憶からは消えていったことでしょう。
そんな歴史に思いを馳せながら、港山駅から乗車し、終点の高浜駅を目指します。お目当ては明治38(1905)年1月竣工の高浜駅舎で、これは翌年の高浜港開港に合わせて整備されたものです。国鉄時代の予讃線ダイヤの悪さを知る筆者としましては、1時間に3本も便がある伊予鉄高浜線はとてもありがたく、鉄道マニアのような気分で乗車が楽しめました。途中、梅津寺駅がありますが、海浜・多島美とのロケーションが抜群によく、その周辺が海水浴場や遊園地として賑わったのもうなずけます。
[海のそばの伊予鉄梅津寺駅][ありし日の梅津寺海水浴場(絵葉書より)]
平成3(1991)年放送の人気トレンディドラマ「東京ラブストーリー」(フジテレビ系)の最終回のロケ地となったことを知る人も、筆者ら以上の世代になりますでしょうか(当時、筆者は高校生)。今は記念プレートがホームの柵に設置され、雰囲気を醸し出すため(?)のハンカチが数枚くくりつけてありました(一時はすごい数のハンカチでした)。遊園地の方は平成21(2009)年3月に閉園となり、跡地には柑橘商品を取り扱った「みきゃんパーク梅津寺」(2019年オープン)や愛媛FCの練習場などがあります。伊予鉄道第1号蒸気機関車は、有料の梅津寺公園に保存展示されています。ここで途中下車すれば、徒歩3分で小説『坂の上の雲』の主人公で松山市出身の秋山好古・真之兄弟の銅像にもお目にかかれます。
[海を眺める秋山兄弟の銅像]
詳述は控えますが、日露戦争「日本海海戦」における海軍作戦参謀・真之の活躍(丁字戦法など)はよく知られたところです。
次はいよいよ終点の高浜駅です。
<明日に続きます。>
イベント名 | 三津浜ぶらぶら歩き③ |