三津浜ぶらぶら歩き②

2023-2-23
海と日本PROJECT in えひめ

筆者の持論として、観光港である以上、そこには旅客船の寄港で人の交流や物流、文化や情報の発信がなくてはいけません。人や車を載せるフェリーや高速船の入出港が見られることで、港町としての賑わいを感じるのです。三津浜の町並みを歩いていると、防予フェリーが筆者の視界に飛び込んできました。

②防予フェリー(三津浜港)

[防予フェリー(三津浜港)]

三津浜港に寄港し、山口県柳井市へ向かう旅客と車が乗船手続きをちょうど行っていました。思い起こせば20数年前に、このフェリーに乗船し、途中の寄港地・周防大島(屋代島)の伊保田(いほた)港へ下船したことがあります。目的は、同島東和町(現、山口県周防大島町)にある村上海賊頭領の村上武吉とその次男・景親の供養塔を視察するためで、関ヶ原合戦後の能島村上家は主君の毛利氏に従って同島へ移っているのです。ちなみに村上武吉の長男・元吉は、関ヶ原合戦当時は西軍の伊予残留部隊として、三津刈屋畑にて東軍の加藤嘉明配下の軍勢と交戦しています。〝伊予の関ヶ原合戦〟とも称されるこの戦いで元吉は戦死し、西軍方は敗走。彼ら戦死者の霊を祀る塚や祠が、古三津1~2丁目の個人宅に今も残されています(元吉の供養塔は広島県竹原市に所在)。

 今回、筆者が三津浜港を訪ねたのは正月休みとあって、帰省の旅客を多く見かけました。福岡で単身赴任中の義兄は、実家の松山へ帰省する際、この防予フェリーを利用しています。その際、乗船した「おれんじじゅぴたー」(695総㌧)で展望デッキのプールに驚き、思わずスマホで撮影したとか。

②防予フェリーの展望デッキのプール

[防予フェリーの展望デッキのプール]

夏季限定使用とはいえ、2時間半の船旅で夏休みのこどもたちを楽しませようとするサービス精神に心が温まります。そして、防予フェリーが出港した後、忽那諸島のへ向かう中島汽船のフェリーを待つことにしました。

中島汽船の航路は、三津浜・高浜・松山観光港と旧中島町の6つの有人島(野忽那島・睦月島・中島・怒和島・津和地島・二神島)と旧松山市の有人島である釣島(つるしま)をフェリーと高速船で連絡しています。20数年前、筆者は中世石造物の調査で旧中島町の有人島をすべて訪ね歩き、近代化遺産の調査でも再訪し、無人島の由利島と釣島灯台(ブラントンが築造にかかわる)で有名な釣島にもそれぞれ2回調査で上陸しております。今思うと、とてもいい経験をさせていただきました。それら一連の調査で、中島汽船(当時は町営)のフェリーや高速船のお世話になりました(現在は、同社株式の過半を石崎汽船が有する)。

②中島汽船のフェリー(三津浜港)

[中島汽船のフェリー (三津浜港)]

〈少し航路を逸脱しますが〉当時、由利島へは中島町教育委員会がチャーターした海上タクシーを利用しました。同島は、平成10(1998)年ごろ放送の日本テレビ系列のバラエティ番組「進ぬ!電波少年」で、若手芸人のR(ロッコツ)マニアが無人島脱出を試みる企画のロケに使用されました。脱出に成功するまで島名は明かされず、筏で脱出して最初にたどり着いたのが二神島でした。また、同じく日本テレビ系列の番組「ザ!鉄腕!DASH‼」でも、ジャニーズ・ロックバンドのTOKIOが無人島を開拓する〝DASH島〟として、平成24(2012)年9月以降にその存在が知られるところとなりました。筆者は、この由利島において、島の山頂にある太平洋戦争末期に築かれた煉瓦造の海軍監視哨施設を調査しています(携帯電話を頂上で紛失)。

そして三津浜といえば、何といっても〝三津の渡し〟です。

②三津の渡し画像1

[三津の渡し][三津の渡しと内港]

奥まった三津の湾内を対岸へアクセスしようものなら、この市営渡船がとても便利です。しかも、約80mの航路が市道扱いのため、渡船料が無料というお得感があります。つまりは、町並み散策の観光客にとっては、港山城跡や伊予鉄港山駅へアクセスする際の最短コースで、地元住民にとっては身近な生活道なのです。筆者は町並みから対岸の古深里(こぶかり)地区へ歩を進め、角田造船のドライドックと20年ぶりの再会を果たすことになりました。

②2002年頃撮影の角田造船ドライドック

[2002年頃撮影の角田造船ドライドック]

第2工場の事務所はすでに撤去され、ドライドックは海水をたたえた状態でした。もう使われていないような印象を受けました。ドライドックは漢字で「乾船渠」と表記され、人工的に設けた凹地に船を入渠させ、傾斜型の巻き上げドックとは異なる形状をしています。修繕船が入出渠の際はゲートを開閉させて海水を導き、船底の修繕をする際は海水を抜いてドライ(乾いた)の状態にします。わが国最初の洋式ドライドックは明治4(1871)年に横須賀で竣工しますが、今も横須賀海軍施設ドックとして使用されています。その渠壁の石垣には、ご当地の安山岩を使用していますが、角田造船に残された旧石崎船渠造船所の石材は花崗岩です。同所は愛媛県に現存する最古の石垣ドライドックであり、これに次ぐのが太平洋戦争末期に竣工した波止浜船渠の石垣ドライドック(現、新来島波止浜どっく2号ドック)で、ともに石崎家ゆかりの海事遺産なのです。

その後、港山(港山城跡)の頂上から興居島の伊予小富士や忽那諸島を眺め、伊予鉄港山駅から電車に乗ることになります。

 

<来月に続きます。>

 

大成 経凡

イベント名三津浜ぶらぶら歩き②
  • 「三津浜ぶらぶら歩き②」
    記事をウィジェットで埋込み

    <iframe class="uminohi-widget newssite-article" src="https://ehime.uminohi.jp/widget/article/?p=3382" width="100%" height="800" frameborder="no" scrolling="no" allowtransparency="true"><a href="https://ehime.uminohi.jp">海と日本PROJECT in えひめ</a></iframe><script src="https://ehime.uminohi.jp/widget/assets/js/widget.js"></script>

関連リンク

ページ上部へ戻る
海と日本PROJECT in えひめ
最新ニュースをウィジェットで埋込み

<iframe class="uminohi-widget newssite-newest" src="https://ehime.uminohi.jp/widget/newest/" width="100%" height="800" frameborder="no" scrolling="no" allowtransparency="true"><a href="https://ehime.uminohi.jp">海と日本PROJECT in えひめ</a></iframe><script src="https://ehime.uminohi.jp/widget/assets/js/widget.js"></script>