月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。
今回は「伊予北条の鹿島へゆく」です。
海岸線の国道196号で今治市と松山市を往復する際、車窓から眺める芸予諸島の眺めはとても美しいです。その海域は瀬戸内海の主要航路にもなっていて、JR予讃線の車窓からはさらに多島美のパノラマが広がります。その途中にあるのが松山市北条(旧北条市)の市街地で、バイパス開通後はJR伊予北条駅周辺の旧市街の交通量も大幅に減りました。このため、バイパスの車窓から鹿島を眺めると、北条平野とつながった陸繋島のように映るのです(〝伊予の江の島〟とも称される)。
(北条港沖の鹿島)
鹿島は、北条港の沖合約400mにある小島で、周囲1.5㎞の島全体が瀬戸内海国立公園に指定されています。昭和戦前から、松山近郊を代表する清遊地として、日帰り観光を楽しむ市民憩いの場となってきました。
(昭和戦前の鹿島(絵葉書より))
昭和初年発行の『伊豫北條鹿嶋公園繪葉書』(登美屋富田商店発行)には、島内の鹿島神社前でくつろぐ野生シカや〝伊予の二見〟〝夫婦岩〟とも称される沖合の玉理(ぎょくり)・寒戸(かんど)島、奇岩の石門アーチなどがビュースポットに選定されています。
(奇岩の石門アーチ(絵葉書より))
現在、海岸道路の一部は通行止めとなっていますが、事前に鹿島周遊船「愛の航路」を2名以上で予約すると、沖合からグロテスクな岩肌の玉理・寒戸島や石門アーチを遊覧することができます。また、島内には松山出身の高浜虚子や村上霽月らの句碑もたくさん見ることができます。
もうかれこれ、筆者は鹿島へ10年余り行っていません。20歳代の頃は、そこが戦国時代末期の城跡だと知って何度も足を運ばせたものです。今回は妻と長男をともない、家族旅行の気分で12月上旬に訪ねることになりました。紅葉も見ごろを終え、さぞ閑散とした光景を目の当たりにするだろと想像していましたが、鹿島公園渡船駐車場には多くの自家用車が停まっていました。驚いたのは、待合所の壁に立てかけてあるたくさんのリヤカーで、切符売り場の職員に訊くと、BBQなどを楽しむキャンパーに無料貸し出しを行っているとのこと。
(鹿島公園渡船待合所のリヤカー)
肌寒い一日でしたが、その日の午後は4組のキャンパー客が楽しんでいて、防波堤では釣りを楽しむ人々を多く見かけました。前回よりもトイレ・洗い場などキャンプ設備が充実し、護岸の埋め立てで広場が増えていました。夏場は、これに海水浴を楽しむ日帰り客も加わり、2021年夏オープンした「北条鹿島レストハウス〈コトフーズ〉」(土日祝のみ営業)がこうした観光客の各種もとめに応じ、島の活性化に一役買っていました。
市営渡船(19総㌧)は、4月~10月は1時間3便、11月~3月は1時間2便で運航し、わずか3分の航行中は船内映像でタレントの友近(松山市出身)による観光アナウンスも楽しむことができます。
(鹿島公園渡船)
(友近の船内アナウンス)
大人の往復運賃210円は、気軽に島へ足を運びたくなる料金といえます。
(夕暮れ時の鹿島と渡船)
そして鹿島といえば何といっても、そこに棲息する二ホンジカです。かつては野生シカでしたが、希少植物などの被食防止で、現在は島内2か所の鹿園で飼われています。売店でエサ(1袋100円)を購入すれば、エサやり体験を楽しむこともでき、掌にエサを載せて差し出すと、ペロペロと愛らしく舐め回してくれるのです。
(エサに群がるシカ)
上陸後、ひとまず忽那諸島(中島・睦月島・野忽那島など)や高縄山(標高986m)を俯瞰しようと、登山遊歩道に沿って頂上の展望台を目指すことにしました。標高114mの山頂まで徒歩約20分かかります(頂上展望台には〝恋人の聖地サテライト 幸せの鐘〟がある)。
(展望台から高縄山を望む)
シダの群生が目につくのは、シダを野生シカが食べないことでこのような植生になったようです。
(登山道のシダの群生)
そんな遊歩道沿いの筆者一番のお目当ては、小さな解説板「鹿島城跡」が立つ中腹の休憩所です。その平地は、城郭でいうところの郭(くるわ)に相当し、防御機能を持たせるために山斜面を削平しているのです。その東側斜面に、戦国末期から織豊期ころに築かれた石垣が一部残されています(多くは破却された)。
(鹿島城跡の石垣)
ご当地の石材の安山岩を用いているため、石積みの石は柱状節理で細長いものが多く、研究者の一部からは牛蒡(ごぼう)積みと称されています。お城マニアなら気になる…これは一体、誰が城主のときの城郭なのでしょう?
イベント名 | 伊予北条の鹿島へゆく① |