レポート
2023.04.02

佐田岬半島をゆく②

女子鼻(めっこはな)灯台は、宇和海に突き出た伊方町九町(くちょう)の岬の突端にあります。室ノ鼻灯台のように、灯台そばに駐車場はなく、まさしくアクセス困難な辺境の地です。このため「女子製錬所跡」と書かれた解説板前にハイエースを駐車させ、そこからはアップダウンのある860mの遊歩道を歩いて現地を目指します。

②女岬製錬所跡の遺構

[女岬製錬所跡の遺構]

遊歩道は県立自然公園の中にあって、ウバメガシの落ち葉を熊手で払いながら進まないと、下り道ですべって転倒の恐れがありました。

②ウバメガシの遊歩道をゆく

[ウバメガシの遊歩道をゆく]

ここでは、地元の道の駅「きらら館」の中村館長さんにナビゲートをしていただき、参加者の多くが日頃の運動不足を嘆いたしだいです。筆者は息が切れて汗をかき、この汗が冷えて後日体調を崩すもとにもなり、駐車場へ戻る最後の登り坂で腿(もも)の筋肉がつりました。

 それでも、女子岬は筆者が最も楽しみにしていた場所で、灯台下には明治・大正期の製錬所跡が残されているというのです。ナビゲーター不在だと心もとなく、ブラタモリ的に現地を知る識者との同行をオススメいたします。現地には〝兵どもが夢の跡〟を物語るように、明治後期に最盛期を迎え、大正初期に閉鎖された「女岬(めっこみさき)製錬所」(稼働時の呼称)の遺構を確認することができました。

②女子岬の海岸で廃墟萌え

[女子岬の海岸で廃墟萌え]

そもそも佐田岬半島がある西宇和郡は、別子銅山のあった宇摩郡とともに、かつては県内を代表する銅鉱山を抱えていました。その銅鉱石を買鉱して操業した佐田岬半島の製錬所には、八幡浜町沖の佐島にあった「佐島製錬所」、三崎村童子ヶ鼻にあった「三崎製錬所」、そして町見(まちみ)村女子岬の「女岬製錬所」の3か所が有名です。女岬製錬所は明治30年代には稼業していて、同40(1907)年頃は川之石(現、八幡浜市保内町)の実業家・白石和太郎に経営権が移り、当時は八幡浜近郊の梶谷・大峯・永阪鉱山の鉱石を精錬していたようです。明治41年の製銅高は56,000貫で、従業員は男工15人・女工7人の規模でした。製錬時に発生する煙(亜硫酸ガス)が、周辺地域の農漁業や住民の健康に被害を与えたようで、明治41年の地元紙・愛媛新報には、煙害問題に対する賠償の記事や住民との融和をはかるための吹子(ぐいご)祭りを催したことなどが記されています。

 県内最大の煙害問題としては、新居浜沖の住友四阪島製錬所(現、今治市)が有名ですが、こちらは被害住民との協議を重ねながら解決へと向かい、最終的に亜硫酸ガスを発生しない工場に改善したことで企業側の成果を称えることもあります。一方、三崎製錬所などは日露戦争時の増産で煙害被害が拡大し、これに怒った住民が施設を襲撃して破壊したという負の歴史も残されています。三崎製錬所も女岬製錬所も、やがて明治製錬株式会社に合併・売却されるなどして、三崎製錬所は明治41年に、女岬製錬所は大正初期に操業停止・閉鎖にいたるのでした。

 現地には、緑泥片岩の石積みで築いた焼鉱炉(精錬窯)が残されています。

①室鼻公園と緑泥片岩の海岸

[室鼻公園と緑泥片岩の海岸]

解説図がないため、石積みに一定間隔で開いた四角形の穴を焚口と気づくには、ナビゲーターの助けが必要となります。資本力のなかった小規模経営者が、粗銅を得る精錬過程で用いた施設と思われます。三崎製錬所跡の焚き口はアーチの意匠を用いていて、保存状況もいいことから平成15(2003)年12月に「旧三崎精錬所焼窯」の名称で国登録有形文化財となりました。参加者は、こうした焼窯の遺構を観察しながら、丘陵頂部の女子鼻灯台へいたります。昭和52(1977)年11月10日初点灯の白色円形・高さ12mの灯台です。海をのぞむロケーションは、やはり最高でした。そばに倒れた石灯籠を確認しましたが、航路標識の役割を果たしたこともあったのでしょうか。それとも、製錬所時代に、岸壁に寄港する鉱石運搬船や精銅運搬船の航海安全を願う金毘羅大権現の献灯だったのか、鉱山に関係する大山祇神社も献灯だったのか、今後の調査・検討に期待します。

 その岸壁は、製錬所廃止によって今は荒廃し、赤茶けた精錬滓の鍰(からみ)が散乱していました。

②赤茶けた鍰と緑泥片岩の岩礁

[赤茶けた鍰と緑泥片岩の岩礁]

緑泥片岩の海岸イメージが強い佐田岬半島にあって、ちょっと異質な景観がそこには広がり、廃墟マニアや産業遺産マニアには気分が高揚する場所といえます。

この鍰とは、銅の精錬過程で生じた残り滓(かす)のことで、鉄鉱石から銅・鉄・硫酸を分離する際に石灰や珪石を溶剤として使用すると、溶鉱炉の中で生成された酸化鉄は珪酸と作用して残りカスの鍰となるのです。産業廃棄物のような捉え方もできますが、海岸に設置された製錬所では岸壁拡張の埋立て用資材にもなり、整形して1個数十㎏の鍰煉瓦とし、建築用資材に再生されることもありました(四阪島は1個60㎏)。女子岬では、その両方を確認することができ、漂着物の発泡スチロールゴミが多く打ち上げられている点も気になりました。参加者の中にはゴミ袋持参の方もいて、海岸清掃に少し時間をさきながら、この鍰で何かアート作品でも作れないものか、意見交換しました。

②女子岬で清掃活動

[女子岬で清掃活動]

 駐車場へ戻る頃には正午となり、三机(みつくえ)港須賀防波堤灯台のある須賀公園で地元食材を活かした仕出し弁当をいただくことになります。三机といえば九軍神(きゅうぐんしん)ゆかりの地。次回は、佐田岬半島の戦争遺跡の現況と魅力を紹介したいと思います。

 【③へつづく/次月掲載】

 

大成 経凡

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