レポート
2023.05.20

佐田岬半島をゆく③

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

今回は、先月の「佐田岬半島を行く」の続きです。

 

①・②では、佐田岬半島の魅力として、佐田岬灯台や近代製錬所遺跡などをとりあげました。半島各所からの海の眺めや緑泥片岩の地質にも地域色が感じられました。しかし、別項で取り上げたい魅力がまだ他にもあるのです。

モニターツアーでは、強風のため、当初予定されていた海上クルージングが中止となりました。本来は、渡船をチャーターして海上からエメラルドタイムの灯台を眺めることになっていました。そこで、浮いた時間を、筆者のワガママで豊予要塞の遺構散策にあてることがかないました。

豊予要塞とは、愛媛県と大分県の間にある豊予海峡の敵艦通峡阻止のため、日本陸軍が大正後期から太平洋戦争末期にかけて築いた軍事施設をいいます。それ以前は、大砲の飛距離等の関係で、(国防予算の関係で優先順位を決めて要塞は設置された)。豊予海峡を抜けた敵艦が広島湾や芸予海峡に差し掛かった際、これを迎え撃つための砲台が明治30年代に整備されています(ロシアのバルチック艦隊などを仮想)。愛媛県内では、来島海峡の今治市小島(おしま)に築かれた芸予要塞来島砲台がその一つで、同砲台の廃止と入れ替わるように佐田岬に砲台が築かれることになりました。

『愛媛県の近代化遺産』(愛媛県教育委員会、2013年)所収の「陸軍豊予要塞佐田岬砲台」(池田宏信氏寄稿)によると、佐田岬砲台は第一砲台と第二砲台の2つで構成されていました。第一砲台は、現在の佐田岬灯台の観光駐車場から灯台へいたる遊歩道沿いに設置され、砲座・観測所・探照灯格納庫・兵舎などの遺構が現存しています(備砲は15センチカノン砲4門)。

③椿山の探照灯格納庫

[椿山の探照灯格納庫]

これらは大正13(1924)年9月起工し、同15(1926)年11月竣工しました。

第二砲台は、旧正野小学校の廃校舎からほど近い正野谷地区に設置され、砲座・観測所・砲側庫・軍用桟橋などの遺構が現存し(備砲は30センチ短榴弾砲4門)、資材陸揚げに使用された鉄筋コンクリート造の軍用桟橋は平成15(2003)年に国登録有形文化財となりました。これらは大正13(1924)年11月起工し、昭和2(1927)年10月に竣工しました。

両砲台を踏査してモニターが感じることは、普通に灯台観光で佐田岬を訪ねた場合、それら戦争遺跡には気づきにくいということです。解説板や案内板も十分とはいえず、価値の認識が難しいのかも知れません。しかし、佐田岬灯台(大正7年竣工)と同じ大正時代に整備された鉄筋コンクリート造の構造に目をやれば、建造物としての価値にも光が当たるはずです。木造であれば失われていたはずで、灯台とセットで売り出す魅力を秘めているように思います。地権者の関係で、町がそれら遺構の周辺を整備するには住民の理解が必要となりますが、戦争という負の遺産から脱却した平和学習・観光振興への転換を提案したいと思います。

要塞の遺構からは、佐田岬が置かれた〝地の利〟を理解でき、有事に対する緊張感も伝わってきて、先人の思想や当時の情勢に思いを馳せることができます。そんな中、モニターのテンションが上がった遺構が、第二砲台の砲座そばの「砲側庫」(ほうそくこ)と呼ばれる施設で、壁には迷彩色が施されていて、アート作品のように映り、シュールな感覚に陥りました。

③迷彩壁の砲側庫(正野谷)

[迷彩壁の砲側庫(正野谷)]

椿山展望台にある第一砲台の探照灯格納庫は、出店でカフェなどすれば観光客に喜ばれるのではというアイデアも女性モニターから聞かれました。

では、これらの砲台は敵艦と戦火を交えたのかどうか。実は、時局の変化で昭和9(1934)年2月には第二砲台の火砲が、同19(1944)年10月には第一砲台の火砲が他所へ移設され、砲台機能が停止ししています。それでも、20年になって本土決戦が意識されるようになると、佐田岬灯台直下の岩斜面と御籠島(みかごしま)へ新たに洞窟(どうくつ)式の砲台4門が設置されることになりました。

2023-04-20 (2)

[灯台から御籠島を展望。畜養池を建設中(昭和42年11月、近藤福太郎撮影)]

今でこそ、御籠島は畜養池の護岸伝いにアクセス可能ですが、これは昭和戦後に整備された漁協施設(1967年築)であることから、もとは突端から隔てた小島だったことになります。砲台の洞窟は、沖を航行する九四国道フェリーからでも双眼鏡を使うことなく視認することができます。

③御籠島の洞窟式砲台跡(外観)

[御籠島の洞窟式砲台跡(外観)]

その4か所の穴には三八式12センチ榴弾砲が備わり、砲撃の振動に耐えるよう、コンクリートと杭で砲門を補強していました。

③洞窟式砲台跡の内観

[洞窟式砲台跡の内観]

筆者が以前に佐田岬灯台を訪ねた際は、この洞窟式砲台の隧道の中を見学することはできませんでした。勿論、御籠島には展望所もモニュメントもなく、駐車場から灯台までの遊歩道は舗装されていませんでした。

 

それらは、佐田岬灯台100周年に合わせた伊方町の整備事業の一環で、平成29(2017)年4月2日に「御籠島エリア」として開設されたものです。洞窟には、レプリカの大砲も設置されています。実際、それら4門の大砲が終戦まで敵と戦火を交えることはなかったようで、今後は観光資源としての活用に期待するところです。筆者らモニターは、同島の展望所から黄昏どきに佐田岬灯台のエメラルドタイムを鑑賞しましたが、旧畜養池(2010年で休止)や灯台官舎跡地の活用など、滞在型観光のための策はまだまだありそうです(知恵をしぼれ!)。

【明日に続きます。】

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