南の楽園へゆく②

2023-11-10
海と日本PROJECT in えひめ

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

今回は、「南の楽園へゆく」②です。

 

紫電改展示館は、太平洋戦争末期に活躍した海軍最新鋭戦闘機の「紫電改」(しでんかい)を鑑賞することができる平和資料館である。同機は国内に現存する唯一の機体で、太平洋戦争末期に上空の戦闘で被弾し、愛南町の久良(ひさよし)湾に不時着したものと考えられている。当時は、現在の松山空港付近に松山海軍航空隊及びその基地があって、太平洋から豊後水道を北上してくる敵機を迎え撃つため、多くの戦闘機が配備されていた。

②松山海軍航空基地のジオラマ(紫電改展示館)

[松山海軍航空基地のジオラマ(紫電改展示館)]

今もその名残として格納庫の「掩体壕」(えんたいごう)が3基現存し、いずれもコンクリート製である。

②松山市の掩体壕(正面)

[松山市の掩体壕(正面)]

②松山市の掩体壕(側面)

[松山市の掩体壕(側面)]

機体の種類に合わせて掩体壕の形も違っている。かつては土製も含めると63基あって、紫電改や新鋭偵察機「彩雲」などが配備され、敵機の攻撃から機体を守った。

展示館の機体は昭和53(1978)年に地元漁師によって発見され、翌年引き揚げられて同55(1980)年から同施設で展示公開されている。自身にとっては、何度行っても〝平和と戦争〟について、自らの考えと向き合うことができる特別な場所である。幼少期に祖父母のいる八幡浜へ帰省すると、決まって近所の駄菓子屋へ立ち寄っては、戦闘機や戦艦・航空母艦のプラモデルを買いあさっていた。滞在期間が終戦記念日に近い関係で、テレビで戦争を振り返る番組が多かったように思う。紫電改を初めて見た時の興奮は忘れられず、やはり紫電改のプラモデルを購入した。自身が歴史を好きになっていった背景には、こうした戦争史に向き合う機会が多かったことも影響している。

ここに2度目の訪問となったのは、愛媛県が平成13・14年度に実施した近代化遺産調査の時である。戦争遺跡だけでなく、戦争遺産としてこの紫電改を報告書に掲載しようということになり、私は調査員として赴いた。まだ当時の愛媛県では、戦争遺跡そのものが〝負の遺産〟として捉えられ、目を背けたがる教育行政の職員が多かった。文化財としての認識は少数派で、文化財保護の対象になるのは難しかった。前述の掩体壕についても、海軍航空隊の元搭乗員・杉野富也氏(故人)や戦史研究家の池田宏信氏らの働きかけでようやく平成30(2018)年5月に松山市指定有形文化財となった。高知県南国市に現存する掩体壕7基が平成18(2006)年に市史跡「前浜掩体群」に指定されたことと比較すると、戦争遺跡そのものの捉え方に地域差のあることが分かる。今日では、戦争体験を語る人々の多くが高齢で他界し、戦争遺跡や戦争遺産が歴史の証人として語り部の役割を担う時期を迎えている。

紫電改展示館も開館から43年が経過し、老朽化とともに耐震強度の不足が指摘されている。

②紫電改展示館

[紫電改展示館]

そこで、南レク公園の再編事業の一環で2026年度のリニューアルに向けた準備が動き出した。紫電改と久良湾を一体的に眺望できる施設として建て替えるというのだ。周辺を含め恒久平和の大切さを伝える公園として整備し、県も23年度当初予算で事業費9474万円を計上した。〝南の楽園〟は、新たに生まれ変わろうとしている。

昨年の展示館訪問では、引き揚げの際の絵はがき(写真)を購入しようとしたが、もう絶版とのことだった(前回購入したものを紛失)。そんな中、妻の指摘で『紫電改のタカ』という漫画(中央文庫、全4巻)がセット販売されていることに気づく。

②『紫電改のタカ』

[『紫電改のタカ』]

作者は、漫画『あしたのジョー』の作画で知られる〝ちばてつや〟である。同著は週刊少年マガジンで昭和38(1963)年7月 から同40(1965)年1月まで連載されたもので、『あしたのジョー』(1967~1973、週刊少年マガジン連載)よりも数年前の作品であった。多少高価であったが、八幡浜のホテルでもらったお土産クーポンを使って購入することにした。

一方、愛南町には、旧内海村の由良(ゆら)半島先端に、太平洋戦争中に敵艦の豊後水道侵入を見張るために海軍が設置した戦争遺跡も残されている。当時は由良崎防備衛所(由良衛所)と称され、300人近い兵士が駐屯していたという。重要な任務は敵潜水艦の探知で、水中に聴音機を設置して、艦船のエンジン音を補足した。

②由良衛所の聴音室跡(平成14年夏)

[由良衛所の聴音室跡(平成14年夏)]

その主要な聴音室の遺構が今も残されていて、渡船をチャーターして海からアクセスしないと訪ねることは難しい。そのことで、迷彩色の兵舎跡などは開発による破壊を免れている。私は前述の近代化遺産調査のご縁で、2度までも内海村がチャーターした渡船で現地を踏査することができた。調査をサポートしてくれた現地の織田浩史氏や寺岡秀幸氏らと、この遺跡の価値を語り合ったことが懐かしい。実は、この遺跡の存在を、私は大学生の時に原田政章著『由良半島』(平成6年、私家版)という写真集を購読することで知っていた。耕して天に至る段々畑の古写真は壮観で、今では宇和島市の〝遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑〟〈平成19年、国の重要文化的景観に選定〉を観光することで、往時のイメージがわいてこよう。著者であり撮影者でもある原田氏(故人)は、終戦の時を由良衛所で迎えており、同所に対する特別な思いを抱いていた。

紫電改展示館のリニューアルと並行して、由良衛所の遺構の保存活用にも光が当たって欲しいと願う。ともに、豊後水道を北上する敵から国土・郷土を防衛しようとした戦争遺産で、平和学習の教材や地域色豊かな観光資源となるだろう。

 

【おわり】

イベント名南の楽園へゆく②
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