第28回水軍レース大会に参加して〈下〉

2023-9-26
海と日本PROJECT in えひめ

月に1度、今治明徳短期大学地域連携センター長・大成経凡さんに書いていただく海にまつわるコラム。

今回は、「第28回水軍レースに参加して」(下)です。

 

水軍レース誕生には前史があった。最初は、3島5町の商工会青年部が連携して、城山三郎の歴史小説『秀吉と武吉』(新潮文庫)を題材に、村上水軍で大河ドラマの誘致運動を展開したことがある。昭和63(1988)年11月、水軍ふるさと会の矢野久志会長(故人)は東京のNHK本社を訪ね、制作担当者にかけ合ったが、「当時の自然景観がどこまで残されているのか」「水軍船の復元をどうするのか」など、いくつかの課題を突き付けられたという。そして、住民を巻き込んで村上水軍の勉強会を重ねるうちにたどり着いたのが、ホンモノへのコダワリであった。平成元(1989)年8月に能島村上家の直系子孫・村上公一氏(故人)を講師に招くと、その思いは強くなり、翌2年秋の愛媛県開催の国民文化祭に合わせた小早船の復元計画が持ち上がった。5町それぞれが1隻ずつ建造し、水軍レースをやろうというのだ。しかし、1隻400万円余りの建造費用や時代考証など課題は山積みであった。

結局、ふるさと創生1億円を原資とする建造費捻出を呼びかけたが、5町の足並みはそろわず、宮窪町単独で国民文化祭に向けて2隻を建造することになった。レース方法について、水軍ふるさと会では古老に聴き取りを行い、かつて地元漁師町で4丁櫓の和船を用いた〝押し船競漕〟があったことを突き止めた。「日清戦争の戦勝記念で始まった」「南北2チームの対抗戦で、距離は約1㎞で1チーム9人乗り」「戦後間もなく途絶えた」「弁財天への信仰も兼ねていた」など、埋もれた歴史が浮かび上がってきた。そこで、絶えた伝統行事を水軍レースで復活させることになり、海事史に詳しい小佐田哲男氏(東京大学名誉教授)に小早船の設計図面を、伯方島の船大工・渡辺忠一氏に建造を依頼することになった。

一方、国民文化祭では、宮窪港沖が〝海のフェスティバル〟の会場となり、宮窪町が建造した小早船2隻と、長崎ペーロンや沖縄ハーリーなどが競演している。そして、その後数年間は宮窪町単独の「能島水軍レース」を開催し、その盛況ぶりを見て平成5(1993)年7月から伯方町・宮窪町・吉海町による3町共催でのスタートとなった(宮窪3隻・吉海1隻・伯方1隻)。平成17(2005)年1月の平成大合併後は規模が縮小され、開催日も7月上旬からから7月末に変更となり、今治市宮窪支所・しまなみ商工会議所・宮窪漁協を中心とした運営組織となっている。開催時期が7月末になったことで、炎天下の中、筆者のようなボランティアスタッフの負担も大きくなっている。全盛時は90チーム近い参加があり、宮窪町と水軍の歴史を通じて友好関係にあった大分県玖珠町や広島県宮島町など、県外チームの参加も見られた。コロナ禍で中止となる前、歴史小説『村上海賊の娘』(新潮社)著者の和田竜氏や村上海賊頭領直系子孫の村上氏(能島村上)や久留島氏(来島村上)も漕ぎ手として参加している。

㊦敗戦にうなだれる和田竜先生(2015年)敗戦にうなだれる和田竜先生(2015年)

 

 今年は3つのカテゴリーに49チームの参加があった。長年、大会を見続けてきた筆者としては、さみしい数である。全盛時は90チームほどあり、申込みを断ることもあったようだ。そのため、わが「めいたんプロモーションクルー」のような初出場のチームに魅力を知ってもらい、リピーターになって欲しいと願う。

㊦めいたんプロモーションクルー(めいたんプロモーションクルー)

1回戦の第6レースに出場したわがチームは、決勝進出の1枠を5チームで競い合うことになった。

㊦初戦(左端がめいたんクルー)初戦(左端がめいたんクルー)

 ㊦スタート(いざ出陣!)(いざ出陣!)

スタートダッシュで出遅れたが、先をゆく2隻がコースアウトで棄権となり、それを尻目に次点争いの3位に食い込んだ。

㊦ゴールまであともう少しだ!(ゴールまであともう少しだ!)

 

2位との差は2秒であったが、1位とは24秒差で大きく水をあけられた。その1位が中学生チームであるというから、いかに練習量とチームワークがものをいうかがわかる。訊けば、途中で櫓が外れるアクシデントに見舞われたようだが、すぐに復旧し、全員が息を合わせてゴールできたことに満足している様子だった。午後の決勝戦を見ることなく、わがチームは会場を後にした。

 一方、「一般の部A」の優勝チームは、前回大会優勝の鵜島奉行隊であった。地元の鵜島住民もしくは鵜島出身者で構成されるチームで、歴代最多の優勝回数を誇るチームだ(鵜島には織田姓と福羅姓の住民しかいない)。しかし、70歳以上の漕ぎ手が半数を占め、暑さもあいまって、今年の連覇は難しいとされていた。ライバルチームが失格で決勝に進めないことも幸いしたが、何より老練な櫓さばきが強さの秘訣といえよう。

 水軍レースを創設した水軍ふるさと会は、平成の大合併を機に解散し、メンバーの半数近くは故人となった(ご健在の方は全員70歳以上)。それでも、その後身組織のNPO法人「能島の里」がボランティアスタッフを送りだし、筆者もその1人である。また、明るい展望もあり、大分県玖珠町が来年以降のチーム派遣を検討しているという。わが短大も、新たにチーム編成を行って、目標を完漕から決勝進出に引き上げたいと思う。 

 【おわり】

イベント名第28回水軍レース大会に参加して㊦
日程2023年7月30日
場所今治市大島宮窪港
  • 「第28回水軍レース大会に参加して〈下〉」
    記事をウィジェットで埋込み

    <iframe class="uminohi-widget newssite-article" src="https://ehime.uminohi.jp/widget/article/?p=3758" width="100%" height="800" frameborder="no" scrolling="no" allowtransparency="true"><a href="https://ehime.uminohi.jp">海と日本PROJECT in えひめ</a></iframe><script src="https://ehime.uminohi.jp/widget/assets/js/widget.js"></script>

関連リンク

ページ上部へ戻る
海と日本PROJECT in えひめ
最新ニュースをウィジェットで埋込み

<iframe class="uminohi-widget newssite-newest" src="https://ehime.uminohi.jp/widget/newest/" width="100%" height="800" frameborder="no" scrolling="no" allowtransparency="true"><a href="https://ehime.uminohi.jp">海と日本PROJECT in えひめ</a></iframe><script src="https://ehime.uminohi.jp/widget/assets/js/widget.js"></script>